|
カテゴリ:土クラス
実際の開催日は、2016年12月10日(土)です。
*************************************** 今日は土クラス。 待ち合わせは、泉岳寺駅。そのままの駅名。 快晴 12℃ / 7℃ 泉岳寺駅を出たら、すぐそこに泉岳寺。 泉岳寺 「紋屋」 冨山の食材で、美味しいお料理が頂けます。 でも、富山料理のお店ではありません。 冨山の食材を利用することに拘っているお店。 この画像は、実は裏口(^_^;) いただきま~す(^◇^)/ 薪ストーブがついていました。 何度も伺っていますが、ストーブついているのは初めて。 いつ伺っても、 その季節の一番美味しいお料理を提供して下さいますが、 冬のほうが雰囲気あるかも(^_^) お店を出ます。 裏口は、泉岳寺の境内へつながっています。 大石内蔵助良雄の像 四十七士の墓地へ 「血染めの梅、血染めの石」 浅野内匠頭が 田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、 その血がかかったと伝えられている梅と石。 両脇の石柱には、寄進のあった方々のお名前。 こちらの石柱の名は、 「十一代目 大石内蔵助良雄子孫」と書いてあります。 さりげないけど、すごいことです。 赤穂義士墓地 なんとなく白っぽいのは、 光のせいではなく、 本当に白いのです。 お線香の煙で・・・ もう公害寸前のケムケム(>_<) 目が痛い・・・ 義士祭りである12月14日の直前の土曜日なので、 観光客で一杯。 散歩ネコたちもですが(^-^; 赤穂義士記念館へ 大人500円 館内は、撮影禁止。 広くはありませんが、 当時の装束の再現や説明などがあります。 歌舞伎やドラマでは、義士たちは揃いの羽織を着ていますが、 実際は、全員が経済的に非常に困窮しており、 とても揃いの衣装は用意できなかったとのこと。 胸が詰まります・・・ 本堂でお参り お土産屋さんも充実。 「切腹饅頭」とか、 びっくりする名前のお菓子があります(@_@) スケッチしている方も多かったです。 ここから、秘密の道を通って、豆大福を買いに(*^。^*) 泉岳寺と、高輪高校との間の小道を進みます。 椿の花が綺麗。 泉岳寺を過ぎて、左右に高輪高校。 空中廊下でつながっています。 その下が、地域の生活道路。 東京って、面白い~。 全員いますか~。 一列になって、行進~ 両脇に墓地。 さすが地域の生活道路。 井戸もあります(^-^) 生活水になっていて、今も使えます。 東京って、面白い~。 和菓子「松島屋」 「東京三大豆大福」の一つ。 昭和天皇が幼少のみぎり、お近くにお住まいで、 小銭を握りしめ、お一人で(お付きもいたでしょうが)、 こちらに和菓子を買い求めにいらしたそうです。 その後も、大人になってからも、 ずーっとお好きだったとのこと。 あぁ~っ、やっぱり売り切れ! と、思ったら・・・
これからは、人数確認に更に注意します。 なんとか合流して、散策を再スタート スリランカ大使館 すごくシンプル。 大石たちの、自刀(切腹)した地 泉岳寺は、 切腹の後、埋葬された場所であって、 切腹の地は、また別なんですね。 事件後、幕府は赤穂浪士を 4つの大名家に分けてお預けとし、 良雄は肥後熊本藩主細川綱利の屋敷に預けられました。 旧細川邸 今は、都営アパートの敷地(私有地)になっていて、 中に入ることはできません。 でも、この時期ですから、観光客が沢山います。 ガイドさんも。 父・良雄とは別に、 長男・良金は松平定直の屋敷に預けられます。 偶然なのか、父子は同じ時間に切腹したそうです。 最年少の同志。享年16。 辞世の句 「あふ時はかたりつくすとおもへども 別れとなればのこる言の葉」 ほとんどの義士の辞世が残っていますが、いい句です(T_T) 当時の武士は、辞世を詠むのが武士道の集大成でした。 当時の武士は、平常時から、 この世の最後に詠む句を用意しているのが、嗜みでした。 覚林寺 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、 加藤清正に捕えられた可観院日延が、当地に隠居し、 当寺を創建(1631)しました。 毎年5月に行われる清正公大祭には 人生の苦悩に打ち勝つお守りとして 「しょうぶ入り御勝守」が授与されます。 それは苦悩したでしょうね・・・ 清正公といえば、 明治神宮の「清正の井」がパワースポットとして有名ですが、 こちらも、山の手七福神としても有名です。 お帰りは、白金高輪駅。 今日も沢山歩きました。 今年の土クラスの定例会は、これにて終了。 今年も皆さん頑張りました(^o^)丿 次回は金クラスです。 お楽しみに! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.10.09 10:43:48
[土クラス] カテゴリの最新記事
|