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カテゴリ:気まぐれ業務日誌
おいらの隣の席のN先輩。
隣の席だから、当然おいらの指導係りだった。 受付当番もコンビだった。 担当病棟は、N先輩から引き受けたものが多かった。 外来担当も一応それぞれ役割分担があったけれど、おいらとN先輩は二人で一緒に担当していた ようなものだった。 今年の4月からは、生活保護の関係を一手に引き継ぐことになった。 実はこのころから、ちょっと不審に思っていた。 同期さんからも、 『N先輩が日直のときに言うの、「きむぽんさんは絶対辞めさせちゃいけない!」って。』 なんて話を聞かされていた。 ・・・ひょっとしてN先輩は。。。。 その予感が現実となったのは、8月に入ってすぐだった。 事務長からN先輩の退職を聞かされた。 9月15日付けで退職すると。。。。 が、その後、医事課で後任の担当割りの話し合いをした際、10月15日付けにすると 変更された。もっとも有給消化の必要があるので、実際は9月までだが。。。 それでも、8月からの有給消化は回避できた。 そもそも、どしてN先輩はこの時期に退職を決めたのか。。。 ずっと辞めようと思っていたらしい。 でも、事務長に留保されていたのだとか。 が、それも、もう限界だったようだ。 はっきりと言わない先輩だけど、言葉の端端に感じる、、、。 『あの人との確執が我慢出来ない。』、『あの方のやり方に憤りを感じる。』 そっとにおわすように言うのだ。 今までの確執。。。。 仲のよい検査技師さんからも聞かされたのだ。 以前、ある方にされた仕打ち。。。 それが許せなかった・・・と。 酷い話のようでもあるが、そんなことにそこまで拘るのか!?とも思える。 所詮おいら、その当事者じゃないから。 でも、ああいう性格のN先輩だから、そう感じたのも理解できなくはない。 そして、おいら達下っ端が、少しずつではなるが成長し、仕事を引き受けるようになった。 それで、踏ん切りがついたようだ。 『もう、退こう。』と。。。。 かなりの仕事を引き受けることになったおいら。。。 もともと担当していた入院病棟をの70%を放出し、代わりにN先輩の担当入院病棟の70%を 引き受けた。 ・・・当然、担当人数はまたしてもトップとなる。 一ヶ月の入退院も、たぶん1.2を争うことになるだろう。 今まで二人で担当していた外来担当は、今後おいら一人で担当することになった。 N先輩がしていた生活保護関連、すべておいらが引き継いだ。 N先輩がしていた老健等への請求業務も、おいらが『ついでに』受けることとなった。 N先輩が担当していたレセの返戻査定関連、おいらが受け継ぐ。 そしてその返戻査定を受けて、『合同勉強会』が発足、その実質的な代表が済し崩しで決まった。 ちなみに、今までの入院助成金はそのままおいらの業務となっている。 ・・・なんだか、凄く不公平な業務分担だと、誰もが思うわなぁ。。。。 でも、誰も何も言わない。。。 おいらもみっともないから、言わない。。。 ただ、黙々と仕事をすればいいことだから。 N先輩最後の日。 ホントは明日が給与の〆日だから、明日までと思っていたが、先輩はしっかり公休を入れていた。 それに気づかなかった事務長。。。 気づいていたのに、何も言わない事務所の先輩。総務課長。。。 しかも、他部署にもN先輩の退職は事前に報告されていなかった。 この日の業務委員会で初めて発表されていた。 辞めてしまう日に発表するって、そんなのアリなの???? 10年以上勤めた人に対して、そういう対応するって。。。。 挨拶したい人だって居ただろうに。。。 そりゃホントに個人的に仲のよかった人には言ってはいたようだが、 ほとんどの部署の人が知らされていなかった。 ドクターだって同じだった。 結局、先輩は誰にも挨拶しないで事務所だけの挨拶で去っていった。 勿論、後日ちゃんと挨拶には来るだろうが。。。(制服とか返却するものがあるだろうしね。。。) やっぱり、ここの事務所って『変』。。。 人として『変』だ。。。 変革が必要だよね。 それが出来なければ、おいらだって同じ道を選択するしかないような気がする。 あーあ、今後業務で困ったことがあっても、相談する相手がいなくなってしまったよ。 それでも、やっていかなきゃならんのだな。 N先輩、今までご指導ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年09月21日 15時42分55秒
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