世界の最強サッカープレイヤー大特集!
サッカープレイヤー大特集も今回で終わり!きょうはジダン!1988年、フランスのASカンヌでキャリアスタート。1992年、FCボルドーに移籍。同年、チェコ戦で代表デビュー、2得点をあげる。1996年、セリエAのユヴェントスに移籍。1998年に地元フランスで開催されたFIFAワールドカップ・フランス大会で、決勝戦にヘディングによる2得点をあげるなどの活躍。フランスの優勝に大きく貢献。1998年、 欧州最優秀選手,FIFA最優秀選手賞を受賞。2000年、欧州選手権優勝。2度目のFIFA最優秀選手賞受賞。2001年、移籍金最高額となる約81億円(推定)でユヴェントスからスペインのレアル・マドリードに移籍。この記録は未だ破られていない。2002年、チャンピオンズリーグ優勝。決勝点となった伝説的なボレーシュートを叩き込む(後述)。2002年、2002年日韓W杯では、大会直前の韓国との親善試合での怪我により活躍できず、フランス代表も予選リーグで敗退。2002年、日清食品・カップヌードルのCMモデルとして出演。2003年、自身3度目となるFIFA最優秀選手賞受賞。2005年、クロード・マケレレ、リリアン・テュラムと共にフランス代表に復帰し、パトリック・ヴィエラからキャプテンマークを譲り受ける。予選敗退危機にあったフランスを2006年ドイツW杯に導く。2006年4月26日、体力的な衰え等を理由にドイツW杯限りで現役を退く意向を発表した。2006年5月14日、レアル・マドリードでの最後の試合に出場。契約を1年残しクラブから引退した。全盛期には世界最高のサッカー選手と称され、またサッカー史上最も偉大な選手の一人と評価される。キャリアの最終盤に差し掛かった現在でも世界最高のゲームメーカーの一人。スピードやスタミナに関しては特筆するほどでないが、パス、ドリブル、シュート、トラップといったボールを扱うテクニックは超一級品で、ボールコントロールに関しては歴代の名選手の中でも1・2を争う程の技術を持つ。恵まれた体格の上体を生かした懐の深さ、両足を巧みに扱い、かつ他選手の動きを把握しているのではないかと思えるほどの視野の広さを持っているため、調子が良いときのジダンからはボールを奪うことが不可能に思われるほどの抜群のキープ力を発揮しゲームを支配する、そのため「マエストロ」(攻撃のタクトを振るう意味で)とも評される。1つのプレーでゲームの流れ・スピードを変えることが出来る選手である。テレビの試合中継の中で、解説者も「ジダンのプレーは次元が違う」と発言する程の選手で、「宇宙人」と称されることもある。また、スーパースターとなった現在でも、無名時代と変わらず謙虚で真摯な性格も彼の評価を高めている。彼の得意技「ルーレット」(彼のルーレットを特別にマルセイユ・ルーレットと呼ぶのは実は日本だけである)は、世界屈指のディフェンダーでさえ止めることが困難である。「ルーレット」はヨハン・クライフの「クライフターン」と同一視されがちだがまったく別物である。又、2002年チャンピオンズリーグ決勝のレバークーゼン戦で放たれた左足でのスーパーボレーは、彼の高いテクニックと得点能力をあらわすプレイであり、ファンの記憶にも強く刻まれている。尊敬していた選手は、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表)。 子供にエンツォの名前を付けるほど。インタビュー等などで見られる、はにかみやで静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される反面、試合においては警告を受ける回数は少なくない。 有名なところでは、1998年フランスW杯で南アフリカの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)、ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き、また、2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ちをするなど、瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られている。 最近では、2006年ドイツW杯の韓国戦で警告累積、次の試合が出場停止になった際、競技場内の扉を蹴り壊した。通常は修繕されるものだが、施設側は「サッカー史上最も偉大な選手の一人に蹴られた扉」ということでそのまま保存することに決めた。