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今年もおんたけウルトラトレイルに出場してきました.
2009年,大学に入った頃2回目のレースとして出たこの大会. 09年のレースほど勉強になったレースは今でも他にありません. 09年以降毎年出場しているのですが,結果は・・・ 2009年 16時間台 2010年 19時間台 2011年 第2関門でリタイヤ と年々悪くなる一方(´;ω;`) もちろん,10年と11年はアキレス腱炎+“好天”という悪条件でしたが, 道を知っているのに速くなれないなんておかしい そういえば,マラソンも初マラソンの記録を未だに破れていないし, 他のトレランレースでも,初参加の記録を破れたことがないorz この情けないジンクスを断ち切るため,1年ぶりのレースへいざ,王滝村へ 王滝村は個人的には第2聖地であります. ちなみに第1は乗鞍岳,第3が新城市だったりするのですが… とにかく,小さい頃はスキーのため,大学生になってからはトレランの大会のために訪れる場所で R19を離脱して王滝村へ向かう道のりはいつも新鮮な気持ちになります. 今年は親の助けを借りることなく,自分でレンタカーを借りて,京都からドライブしていきました. 午前8時にレンタカーを借りて,下宿に戻って荷物を積んで,買い物をしたりしていたら, 高速に乗るのが11時半になってしまいました. レースのスタートが午前0時で,それに合わせて生活のリズムを変えていたので, 金曜日の19時から寝てない状態で,運転中眠くならないか不安でしたが, ブラックブラックや好きなアーティストの新曲の助けも借りながら何とか15時半頃会場到着. 今年はこれまでの失敗を踏まえ,到着後すぐに睡眠改善薬を服用.そのあと受付へ. ゼッケンを付けたり,オニギリを食べたりして少しの間過ごして,たしか17時頃には仮眠へ. 純粋に眠かったのか,薬の効果かは分からないですが,今年はすぐに眠りにつくことができました. はっと目覚めたのは19時頃.寝る前は日差しが辛いくらいあったのに,いつの間にか大雨に. レンタカーの窓全開で車内で寝ていたので,驚いて窓を閉めて,車内の濡れた箇所をタオルで拭いて… また寝ました(笑) 再び起きたのは21時半,すぐにアキレス腱サポートのテーピングと,荷物の準備をして, でもかなり準備に掛かってしまい,スタート地点への移動バスは23時過ぎの最終バスになってしまいました. 今年もやっぱりコースの変更があり,(というか毎年違うコースを走っていると思うんですが…) 前半は比較的平坦な舗装路が続くことになり,また,レインウェアが必要なくらいの“荒天”だったので, いい記録が期待できそう(^^♪と思いながらスタートを切りました. スタート前,09年に一緒にゴールした方を見かけたのですが,声を掛ける勇気が出なかったです 舗装区間はほぼ全て走り,林道に入ってからは上りでは徐々に歩きがメインになっていきます. 毎年そうですが,夜間は特に記憶が残りません. 眠いな~と思いながらフラフラしながら歩いている記憶しかありません. 空が明るくなりだした時には第1関門付近,まだまだヘッドライトの光が欲しい時間帯で 関門に到着したのは今年が初.自己ベストへの期待が高まります. 雨のせいでここまで700mlくらいしか給水をしておらず, ハイドレーションの中はまだまだたくさん残っていました. いつもの通り,胃が弱り始めていたので,半分中身を捨てて,水を補給. イオンウォーターでしたが,やはり薄めていないドリンクは飲めませんでした. 第1関門から先は走りやすい道が続くので,8割ぐらいはジョグで進んでいきます. が,謎の頻尿に悩まされます. 周りにランナーが居ないのを確認して第1~第2関門までで4回くらい立ちションしました. 摂取している以上の水分が体から出ていくのでかなり不安になりました. 50kmの通過は7時間丁度くらい. 単純に倍にすれば14時間.来年100マイル走れるじゃんとありえない計算で喜んでいましたが, 現実はかなり厳しいものでした. 第2関門手前の2つのピークのうち1つ目の上りで大腿が痛くなり, 下りではろくに走ることができず, ついに,2つ目のピークの上りで歩くことさえ難しくなってしまいました. これが単純な睡魔ではなく,軽いハンガーノックか酸欠状態であったのでしょうが, 毎年似た症状でフラフラしているので,もっと真剣に対策を考えないといけないかなと思います. 補給食は頑張って摂っているので,後はトレーニングでからだを鍛えていくしかないと思いますが… で,この時は第2関門まで行って絶対リタイヤしようと思いました. が,2つ目のピークに達する頃には少し回復していて, ゆっくり下って,第2関門に到着.とりあえずしばらく休むことにしました. この休んでいる途中色々なことを考えました. 去年はここへ10時半頃到着.アキレス腱がかなり痛みだしていたのでリタイヤを選択. 初めてDNFを経験することになり,あれはあれで収穫があったものの, やはり,今年はこのあとずっと歩くことになってもゴールまでたどり着きたい それが辿りついた答えで,40分くらい休憩をとってしまいましたが, 10時20分頃再びゴールに向かって進み始めました. しばらくすると,5km50分ペースで歩き続ければ自己ベストを出せることに気付き, メンタル的に余裕が出たのか,あれほど力が入らなかった大腿に力が戻ってきました. が,一方でこれまで順調だった足にトラブルが発生.まめでかなりの痛みを生じるようになってしまいました. 水溜りに突っ込んで行かなければいけない箇所があったので,覚悟はあったのですが… 第3関門は一瞬の休憩を取っただけで歩き出し, もしかしたら15時間台も行けるかもと思いつつ歩いていましたが, 足が痛くて下りでかなり失速. 多分上りよりも遅いペースになっていたと思います. 小エイドを過ぎ,舗装路に戻った段階で15:35. この時点では自己ベスト更新も厳しいかと思いました. が,石の足の裏への突き上げが無くなった分,まめの痛みも我慢できるようになり, 走り出すことができるようになりました. ラスト1km付近までそのまま走り続け,最後の上りはさすがに歩いてしまいましたが 16時間を少しだけ超えるタイムでゴール. 無事,自己ベストを更新しました. 車の所へ戻って靴を脱いでみると,足が真っ白でシワシワ. かつ無数のマメが確認できました. まぁ,よく走ったものだなと我ながら感心してしまいます. 帰りは三岳の道の駅と多賀SAで仮眠を取りながら帰宅. 月曜朝のレンタカーの返却も無事に済ませ,2講時の授業にも間に合いました. レースから3日経った今日,右の腸脛靭帯と左右のアキレス腱に少し不安があるものの ほとんど回復しています. 筋肉痛がほとんど生じていないのが不思議です. 今回は前半については足にも脚にも特にトラブルが生じなかったので, まぁ,対策としては合格かなと思います. ただ,前半でも内蔵の弱さは依然克服できていないし, 後半については,まだまだ改善できる部分がたくさんあるので,来年への課題です. 今日,大学院の合格通知が送られてきました. 来年は「同志社大学」から「同志社大学院」に所属を変えて臨むことになります. 100マイルの部の出場条件である14時間切りを目標にトレーニングをしていきたいと思います. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.18 22:30:41
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