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2006.08.01
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5月の流産後7ヶ月経っての妊娠。

お医者さんが言ってた通り3回生理がきてからの妊娠でした。

次に子供が生まれるなら・・・。

男の子なら夏生まれがいいなぁ。

女の子なら春生まれがいいなぁ。

なんて思ってたので、12月に妊娠初期だと丁度8月に生まれるかな。

なんてちょっと嬉しくなったりしましたが、

嬉しいよりも不安で不安で仕方ありませんでした。

妊娠してることがわかる前から精神的にも不安定な状態が続いてて

「もしかしたら・・・?」って思って検査薬を使ったのですが、

自分でもまさか妊娠してるとは思ってもいませんでした。

 

「もうあんな辛い思いはしたくない。」

この思いが頭から離れることはありませんでした。

個人のかかりつけの女医さんのとこに行って妊娠したことを告げると

尿検査では陽性だけどまだ見えないから、心配なら早く大きな病院に行って

見てもらったほうがいいと言われました。

 

以前流産の手術をした病院はあまりにも医師の態度が悪かったので

市内にあるほかの総合病院にしました。

 

今までの経過を話して超音波検査をしましたが

まだ小さな袋が見えるか見えないかの状態。

とりあえず2週間後にまたきてくださいとのことでした。

妊娠したとこが判ってすぐに私は自分の仕事の直属の上司に相談しました。

 

そのころ私は5月に流産したときよりもかなりハードな仕事場に飛ばされてて

毎日コンクリートの寒い床の上で何時間も走り回るような仕事をしていました。

私の仕事は代わりに出来る人が少なく、なかなかすぐには代わってもらえない状況。

このままだときっと理解してもらえないと思い

わたしは自分が流産したことも話しました。

本当はまだ人には話したくないこと。

でも話さないと理解してもらえないと思ったからでした。

上司はできるだけ早く他の人に代わってもらうように話すとは言ってくれましたが

代わりが見つかるまで私はこの状況で働き続けなければいけない状態が続きました。

 

結局今まで私の仕事をしてた人が私の仕事をやることになったのですが

私は今度は1日同じような姿勢で立ち続けるような仕事場に行くように言われました。

「他の妊婦さんは臨月まで普通に仕事してたんだから、あなただけ特別扱いできない。」

冷たくそう言われました。

 

私だって普通に仕事が出来る状態なら臨月まで仕事したい!

でも出来ないから流産した話までしたんじゃない!

悔しくて悔しくて・・・・。

どうして理解してもらえないのでしょうか・・・・・?

 

私は不安のあまり立ってることすら出来ないくらいでした。

どうしてそんなに冷たいことがいえるんだろう?

安定期に入るまで座るような仕事に代えてもらうことすらタダのわがまま扱いされてしまうの?

そのまま早退して夜のうちに営業所の責任者に連絡して

しばらくお休みをもらうことにしました。

 

また家から一歩も出ない生活。

でも不安は消えませんでした。

「また・・・。つわりがない。」

精神的にはまたやる気のない、マイナス思考。

2週間がこんなにも長いとは思いませんでした。

1日、1日、ただ赤ちゃんが無事に育ってくれることだけを祈って

過ごしていました。

毎日毎日ネットで同じような人の経験談を探して。

2回流産する確率を調べたり。

無事に生まれた話を読んだり。

娘にも

「ママのお腹に赤ちゃんがいるんだよ。」と言って

毎日お腹を触らせてました。

「お腹の赤ちゃん元気に生まれてくるといいね。」

娘もお腹をなでながら、嬉しそうに話していました。

 

2週間後。

超音波で見た子宮の中は

2週間前と変わってませんでした。

「大きくなってないですね・・・。」

カーテン越しに先生の声。

それからしばらく待合室でずいぶんと待たされて、診察室に呼ばれました。

先生も気を使って私を最後にしてくれたみたいでした。

「今回は残念だけど・・・。お腹の赤ちゃん大きくなってないから・・。」

たぶんそんな言葉だったと思います。

待合室で待ってたときから我慢してた涙かぱたぽたと流れ落ちました。

私は声を出して泣いたと思います。

 

どうしてだろう・・・?

どうしてこんなに辛い思いをしなければいけないんだろう・・・。

 

今回は出血もないため手術は次の週になりました。

クリスマスくらい家族4人で過ごしたいから。

そう先生にお願いしたこともあり、年が明ける3日前に手術をすることになりました。

 

病院の公衆電話から旦那さんに電話しました。

その日は丁度お休みで病院まで送ってもらって、迎えに来てもらう約束をしていました。

妊娠によるホルモンバランスの変化のせいで

いらいらしてた私は些細なことでその日の朝旦那さんと喧嘩して、

ほとんど口もきかないで病院に送ってもらった後だったので

電話に出る旦那さんの声もかなりの無愛想でした。

「話があるから今から病院に来て。」

どうしても電話では

「流産」

とい言葉を口に出来ませんでした。

 

結局旦那さんが病院に付いたのは会計で私が待ってるとき。

私はどうしても自分の口で伝えることが出来なかったので

渡された入院の資料の入った封筒を無言で旦那さんに渡しました。

封筒の中身を見た瞬間

旦那さんも理解できたみたいです。

私は声を殺して横で泣きました。

旦那さんはぽつりと

「てっきり話があるっていうから、もう性別がわかったっていうのかと思った。」

寂しそうに言いました。

車に乗ると私は大声で泣きました。

何で悲しいのかも良くわかりません。

でも涙は止まりませんでした。

 

それから数日間。

娘と旦那さんと私とお腹の赤ちゃんと4人で過ごしました。

クリスマスも普通に過ごして

手術する日の朝も娘に

「赤ちゃんとバイバイしてくるから。」

そういって病院に行きました。

 

前回の総合病院のときと違って日帰りでの手術。

病院によって方法は全然違っていました。

 

私は子宮の入り口を広げるラミナリアを入れる際に最後に先生にお願いして

赤ちゃんを見せてもらいました。

さすがに流産がわかったときの超音波写真はもらえなかったので

どうしても最後にどうなってるのか自分の目で見たかったから。

 

子宮内の袋も、袋の中もぼんやりとしてもう形ははっきり残っていませんでした。

先生も

「このぼんやりしてるのがそうかな・・・?」

って言ってたので、赤ちゃんがお腹の中で亡くなって

時間が経過してることがわかりました。

 

この病院。

先生の対応は悪くなかったんですが、前の病院と違って

手術室での手術ではなくて

「分娩台」

での手術でした。

しかも分娩台まで自力で歩いていって、麻酔が切れたら自分の足で

病室のベッドに戻るというハードなもの・・・・・。

分娩台が2つあってさすがに出産を控えた妊婦さんとは一緒じゃなかったんですが

カーテン越しに隣の人もソウハ手術を受けるのだということがわかりました。

隣の人はもう手術を先に終えたらしく、うわ言で

「痛い~・・・・痛い~・・・・。」

と言ってるのが怖かった・・・・・・。

 

麻酔には効く人と効かない人がいるらしく

効いてても自分は無意識でも

暴れたりする人がいるらしいとは聞いてたので

(一回手術受けてるから麻酔効かなかったらどうしよう・・・?)

そんな不安もありました。

 

でも手術はなんの問題もなく終わりました。

 

 

 

 






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Last updated  2006.08.01 12:41:20
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