全体力
「試合」というと、レスリングを始めとして、格闘技を通じての経験がほとんど。体育館やホール、室内で開催されるものばかり。いい試合、勝った試合のときには、いつも不思議な感覚がありました。この空間内であれば、今日はなんでも自由になる感。どんな強い相手にも負ける気がしませんでした。個人競技とはいえ、一緒に練習してきた仲間がそこにいて、お互いにセコンドについたり、ウォーミングアップの手伝いをしたり。観客席から応援してくれる家族や友達もいる。対戦相手にも同じように仲間も友達もいて、全部含めた一体感。きっと自分を、全体の中の一部として感じることができていたのでしょう。自分が全体なのだから、もう無敵。逆に、せっかくいい試合をしていたのに、なぜか急に全体から分断されたとき。対戦相手さえ見えず、痛い、きつい、しんどいと、自分のことばかりが気にかかる。3歳くらいの頃でしょうか。お風呂で髪を洗ってもらうときに、頭にお湯をかけられるのが怖くてしかたがありませんでした。お湯が頭からジャバーッ。目も鼻も口も耳もふさがれる、ほんの一瞬。この世界に自分しかいないんじゃないか、と迫る取り残され感が、ほんとに怖かった。シャンプーハットが手放せませんでした。一度だけ、屋外のリングで試合をしたことがあります。青空シャンプーハットの下は広すぎて、自分がどこかにとけちゃった感が。相手に蹴られて、我に返る。とけた中からなんか出てきたけど、遅かった。シャンプーハットも、体育館ハットも、青空ハットも、かぶりこなして卒業して。踏み出した一歩は、地にも天にも、シャンプーハット銀河にも届くのです。