テーマ:京都。(6113)
カテゴリ:エッセイ
日曜に京都へ行った。
そして、大原の三千院へ。京都駅からバスで1時間。 その後バス停から10分くらいだろうか。小川沿いの道を歩いて行くと、大きな御殿門が見えてくる。 自分はお寺が結構好きだ。しかもこういう由緒ある古~いお寺に行くと、まるで建物全体が静かに息を潜めた生き物として、その静寂という安らぎで来訪者を包み込もうとしているように感じる。 そして、薄暗い本殿の中にはおそらくきらびやかであろう飾りが天井からぶら下がり、奥には本尊の仏像が静かに半眼でこちらを臨む。 そんな中にいると、まるでその仏像が、その息吹を吹き返し、その想いを太古からの見えない言葉として空気中に彷徨わせているような、そんな気持ちがする。 その空間の中にいると、それだけで心の中にさらさらと清らかな小川が生まれ、日々の生活の中での凝り固まったこだわりを流し去ってくれるような、そんな気がする。 それは、今までこの本尊に祈りを捧げた何万、何億という人々の祈りの蓄積なのか、建立からの変遷を知る本尊の想いなのか。それらを僕は、薄闇の中の見えない空気の重さや、身体中に染み込んでいく見えない祈りの言葉で感じ取っているように思う。 きっと言葉にならなくても、ここに来る多くの人はそういう何かを感じ取っているのではないか、そう思う。 例え、国宝の仏像でも、その細部を観察するために灯り照らすのではなく、あるかないかすらわからない暗闇の中に置いて、それが発する空気を感じ取ろうという心。それって日本ぽいなぁ、いいなぁと思った。 これからも日本人の心の中の光が、こうやって闇の中から紡ぎ出されていきますように。 そんな事を思った三千院でのひとときだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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