テーマ:心のかたち、人のかたち(951)
カテゴリ:エッセイ
昨日の日記に、火水ハヌルさんからメッセージがあったので、
懐かしくなって、大学生の時に愛して止まなかった吉本ばななの「キッチン」を 部屋の奥のダンボール箱の中から探し出してきました。 友達に何冊もあげたせいで、何度も買い換えたその本は、久々に開くと少しだけ、 古い紙の匂いがして、ぱらぱらとめくると、ずっと前の近くの美容院の割引券が しおりの代わりにはさまっていた。 何度ページを開いても、そのあちこちから輝く宝石のような言葉が零れ落ちてきて、 しかも、その一つ一つは、はっきりとそれを自分の心で経験しない限りは、理解が できない。まるで時計仕掛けのように、自分のその時の気持ちや、新しい体験に 合わせるように、その本は僕に素敵な輝きを提供し続けた。 そして今日も。。できることなら抱きしめたいくらいの、その言葉に、僕は 昨日の自分がまだまだ未熟だったことを知る。 世の中には、知らないことや、分からないことが溢れていて、その一つ一つを知る ことは、悲しいことでもあり、喜びでもあるんだと思う。 生きることはたくさんの出会いに溢れていて、それでいていつも淋しさに溢れている。 主人公のみかげが雄一のお母さん(オカマのお父さん)に会った時の印象は、突然 ばたばたと家に駆け込んできた夜の商売をしているらしい彼女を見て、こう言っている。 それでも彼女は圧倒的だった。もう一回会いたいと思わせた。心の中に暖かい光が 残像みたいにそっと輝いて、これが魅力っていうものなんだわ、と私は感じていた。 そんな素敵な人に会えたらいいな、と思う。 そして、その息子の雄一の印象が、ちょうど今回のしおりがはさまっていたページ。 そこで雄一の印象をみかげはこう語っている。 いつか必ず、誰もが時の闇の中へちりぢりになって消えていってしまう。 そのことを身体にしみ込ませた目をして歩いている。私が雄一に反応したのは当然かもしれない。 この言葉を見ると、なぜか僕は、ほっと安心する。 淋しい瞳っていうのは、決して悲しいことでも、特別なことでもなくて、 夏の夜に消えていく蛍をみることや、冬の山にいつまでも遠く輝く夕日を見るのと 同じように、ありふれて存在することのように思えるからだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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