カテゴリ:エッセイ
オーストラリア、メルボルンでの
アバターマスターコースを終えて。。 http://www.avatarj.com/ -- 夜の8時10分。僕は成田空港発、上野行きの京成電鉄のスカイライナーに乗っていた。車内にあった自販機で買った温かい”伊右衛門”を飲みながら、窓の外の流れ行く日本の夜の景色の中に、漠然とした懐かしさと、その灯りの向こうに生きるたくさんの人々の存在を、まるで祭りの後に遠のいていく笛の音のように感じていた。 メルボルンの空港で買ったラズベリーマフィンがまだかばんの中に残っていて、機内食を食べ損ねてしまった僕は、それをほおばりながら、まるで子供の頃の夢のように頭の奥に響いてくるオーストラリアでの9日間を大旅行をぼんやりと思い出していた。 成田空港での最後の仲間たちとの抱擁した時の人の身体の柔らかさと暖かさ、機内でのほんの短い会話での中で流した涙の跡、まるで運命のように始まった2世代に渡る過去生の話、それらがロウソクの火でゆっくりと回る走馬灯の映し出す幻のように、身体の周りをゆっくりと回り、僕の心を満たしていった。 この9日間にいろんなことがあったと思う。それはまるで映画”スタンドバイミー”の子供たちの旅の跡のよう。そのすべてが大切な意味の込められた時のカケラのように今は思う。 そして最後の夜に越えられない壁に向き合って、YUJIさんや、HITOMIさんに注意されて、しょんぼりしながら、眠れないまま朝を迎え、夜明け前の公園で、一人大好きな木に最後の挨拶をして、そしてその木に包まれて、そのまま木の中へ溶けていって、静かに闇に包まれ、風を感じ、時を見つめていた。 そしてすべての事が自分のために準備されていたことを知る。学びは決してこれで終わりではない事、自分の創りだす未来がただ、今スタート地点に立っただけだという事、掛け替えのない繋がりをこれからずっと続けていける事、大切なのは技術ではなくて、命の流れを創りだす事なんだという事。 きっと僕はここで何かの成果を得て終わったなら、まるで風邪を引いたときに行く病院のように、今回のセミナーを片付けてしまっていて、一時の思い出にしてしまったかもしれない。古いアルバムに出会った人々と、そこでの記憶を閉じ込めて、またそれと関係のない日々へと振り戻って行ったかもしれない。 けれど、それができなかった事で、そこで苦しんだ事で、僕は今回学んだ事が、身につけた事が、本当に些細な事で、本当にこの先にこそ大切な時間が広がっている事、大きな流れをこれから創り出していくことこそが大切なんだ、とわかることができた。 そしてたくさんの人の暖かさと繋がっていること。それらがすべて幻想でも、それをこれから創り出していくべきなんだ。。と感じた。 日暮里駅で電車を降り、狭い階段を上り、仕事を終えて帰る人波に飲まれ、JRへと乗り換える。 車内で向かいの席に座る人たちが、まるでテレビの映像のように遠く、でもなぜか近く感じられ、出入り口の上のディスプレイが、嘘っぽい言葉を並べたCMを映し出す。それらに何の反応も感じることなく、僕の耳をすり抜けていった。 携帯を懸命に打ち続けるOL、薄笑いでどこを見ているかわからない青年、英語で懸命に日本について説明しているビジネスマン、大切そうにバッグを抱える女性、遠くの景色を見つめる女子高生。やがて僕もその日常の中に、まるでコーヒーの中に入れたクリープがあっという間に溶けてしまうように、帰っていくことだろう。 けれど、確実に僕の中では何かが変わっている。そんな気がした。 そして、ぼんやりとした中で、なぜかオーストラリアにいた時には一度も浮かんでこなかった曲が頭の中で再生されていった。 ”ハローハロー 交わそう ここからすべてが始まるよ” ”同じ目線で ためらうことなく無邪気に言うよ ハロー” (superfly、「ハロー・ハロー」より) 素敵な素敵な宝物のような日々に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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