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星野道夫の「最後の楽園」という写真エッセイ集に、こんな言葉があった。
見ることと、理解することは違う。 たとえぼくが餌付けをしてグレーシャーベアーをおびき寄せても、 それは本当に見たことにはならない。 しかし、たとえ目には見えなくても、木や、岩や、風の中に グレーシャーベアを感じ、それを理解することができる。 あらゆるものが私たちの前に引きずり出され、 あらゆる神秘が壊され続けた今、 見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。 1996年8月8日に星野道夫が熊に襲われ急逝してからすでに14年。 時代を経ても、いやむしろ時代が過ぎれば過ぎるほど、星野道夫のたくさんの言葉は まぶしく、深く、人々に語りかけてくるように思う。 それは僕らが日常生活を送っていく中で、どうやっても感じることの できない神秘的であり、地球的な体験だと思う。 ・・僕にとって星野道夫は写真家というよりも哲学者であり、詩人だった。 そして、彼の写真は、遥か太古の伝説のような時代から、今この一瞬を風吹き抜け 更に遥か未来までを一気に駆け抜ける、一陣の風のような、崇高さと、優しさと 運命の鼓動を映し出している。 地球の始まりからその終わりまでをじっと見つめてきたような、その深い瞳、 悠久の時を旅している心が記した言葉は重く、映し出された写真はまばゆい。 今、僕らはどれだけこの時の流れを感じることができているだろう。 どれだけ遥か彼方から続いている歴史の重みを大切にしているだろう。 消えていったもの、消え行くもの、目に見えないものを静かに感じる心を持っているだろう。。 夜の風を感じながら、そんなことを思った。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 10, 2010 12:11:50 AM
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