女性は尊き存在。
昨日の日記で痴漢の事を書きましたが、何故日本女性は男性に従うものとか、男尊女卑の考え方が出来たのかを考えますと、実は明治維新からの考え方なのです。明治までの日本は夫婦別姓でしたので結婚しても財産は別、稼いだお金も別でした。 離婚の時に旦那が妻の財産を使っていた場合は、それを借金として払わなければいけませんでした。、時代劇に出てきます、三行半これも一般には男性から一方的に離婚できた証拠の様に思いますが、違います。三行半は妻の再婚許可証でした。私はあんたと縁を切り、違う人と所帯を持ちます。 ついてはあんたとの縁はこれで切ります。これを旦那が認めた証文でした。江戸では八代将軍の時には、男十に対し女6でしたから女性は何度でも結婚できました。農村も同じで経済力の無い男は結婚は無理でした。結婚に関する権利は女性が持っていましたので、 男性は何とか女性の目に留まろうとエステに通いまして、ひげも剃らずに抜いていました。風呂も熱い風呂に無理しても入入っていたのは、 本心は男伊達の為ではなくて熱い湯の効果で肌の脂が抜け薄くて木目の細かい色白の肌にするためでしいた。冬でも一重の着流しで肌を見せていたのも、 自分の肌を女性に見てもらう為の涙ぐましい努力でした。結婚後も女性は料理もしません。旦那が朝妻より先に起きましてご飯を炊いていました。江戸時代の理想の旦那は飯炊きの上手な人なんですよ。洗濯は洗濯屋さんです。妻は飾りもので、仕事など言いつけたら、即離婚です。妻は直ぐ再婚、 旦那は生涯鰥夫です。昔女性は男より尊くて大切にされてました。明治政府は夫婦同姓にして家族制度にしましたので、 男の家に入る事によりそれを失いました。明治政府の教育で江戸時代を特に悪く教えたため、 それまでの良い事も切り捨ててしまいました。古代、天照大神のころより女性は尊き存在です。北海道【札幌ロイヤルホテル】 北海道アイスクリーム&シュークリーム(送料無料)