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いしけいからの穏やかな日常と伝えたい思い

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June 25, 2012
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カテゴリ:人生論

今月の日経新聞「私の履歴書」は米沢富美子先生です。

こちらを読むまで米沢先生の事は知りませんでした。

米沢先生は女性なのに科学者で慶応大学の教授もされて物理学会の会長もされて素敵だなあと思いました。

研究者だけでなく、結婚もし子育てもして、がんの手術も5回もされて、すごい人だと思いました。

結婚する時に結婚したら家事と研究の両立は無理だと断ろうとしたら、家事も研究もの選択もあると言ったご主人も理解があったから続けられたのでしょう。

読んでいると颯爽としていて活動的で素敵な生き方だと毎日感動し、読むのが楽しみになります。

この先生は私が高校時代に夢を描いていた憧れの生き方をしています。

当時は今より理系女子は少なかったと思います。

先生の頑張りもあると思いますが、ちょうどいい時代に生きられて運も良かったとも感じます。

昨日Mr.サンデーを見ていて高学歴や飛び級の優秀な若い人でも就職難だと知りました。

今の時代が景気がよくないので仕方がないのかもしれませんが、優秀な頭脳が生かされなくてもったいないなあと思います。

私が高校生の頃も理系女子は少なかったです。そして女性の社会進出も少なかったと思います。

私も女性で仕事を続けられるのは教師か医療職だと思っていました。

そして目標は数学の教師か薬剤師でした。

私は数学が大好きでさらに中学高校と東大出の素敵な女性に数学を教わったので憧れを抱きました。

就職には数学よりも物理や化学の方が有利だと知ったのはかなり後でした。

米沢先生も数学が好きだったようですが、物理に進んだから上手くいったのかもしれないと思いました。

米沢先生が慶応で教授になったのは私が卒業した後だったようで今から思うと残念です。

もう少し後に生まれていたら物理をやろうと思ったかもしれません。

私は結局無料で受けられた国立大学の付属の臨床検査技師学校に行きましたが、そちらにも素敵な女性の先生がいました。

その先生と研究するのが夢でしたが、息子が小学生になった頃、その先生が教授になり研究を手伝って欲しいという連絡が先輩や恩師からあり、6年間パートですが働けた事はラッキーだったなと思います。

他の道に進んでいたらどうなっていたかと思いますが、私は家事も仕事もは無理の方なのでまだいい方だったのだと思います。

でも本当の夢は米沢先生のような自分で研究する研究者になる事でしたので、浪人してもっと勉強すればよかったかなとも思います。

現実的には理想的な生き方は難しいですが、やはり少しでも夢が叶うように努力は必要だと思います。






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Last updated  June 25, 2012 03:06:47 PM
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