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カテゴリ:受験
2,3月は4月に向けていろいろ決めることが多いものです。
自分の時も息子の時もいろいろ考えたものです。 まずは進学に関してですが、私が高校の時は中学校の成績で公立高校の進学先はほぼ決まりました。 私は2歳から25歳まで東京に住んでいましたので、都立高校の学校群で何学区の何群と決まっていました。 学校の内申書と模試の偏差値でだいたい決められていました。 すべりどめの私立高校もほぼ決められていました。 私は1,2学年の時は体育以外はだいたい5で偏差値も70以上あったので、担任から公立校以外も国立や有名私立も受験したらどうかと言われていました。 3年の時の担任は保健体育の男子教師で私をあまりよく思っていないようでした。 だいたい勉強は出来る方でしたので、英数国の教師からはよく思われていました。 書道は区で銅賞を取り、読書感想文でも入選しました。 成績も少し下がった時もありましたが、学年で一番の時もあり、入試前は体育が3以外全部5でした。 公立は文句なく一番上の学校群を勧められましたが、こちらから国立を受けたいとは言えませんでした。 2年から3年にかけて通った進学教室でもいつも成績優秀者で表彰されていましたが、途中で塾はやめていました。 目指していた都立高校と万が一のための滑り止めの女子高を受けて、どちらも合格しました。 私立の女子高も都立より今は進学率が高く、今だったらこの女子高のほうを選んだかもしれません。 学校群だったので2校のうちどちらかに希望に関係なく振り分けられました。 私は元男子校のほうで女子は全体の三分の一でした。 自由な校風で制服も自由でしたが、標準服があって入学式や卒業式などにはその制服を着ましたが普段は自由でした。 部活動も盛んで、入学前の準備登校の時から、部活動の勧誘が盛んでした。 私はいくつか見てクラシック音楽だけ演奏する吹奏楽部に入りました。 先輩の指導と本だけで何とか夏にはクラリネットが吹けるようになり、放課後も夏休みも冬休みもよく練習しました。 学校は楽しかったですが、授業は期待はずれでした。 担任の国語と数学は面白く好きでしたが、英語はあまりいい先生にあたりませんでした。 年配の教師や遅刻ばかりする教師、英語より猫の話が多い教師、わからないと怒り質問すると怒る教師などでした。 受験に関しては特に何も対策をしていませんでした。 教師の多くが予備校でアルバイトをしていて、高校の授業が終わるとすぐに帰ってしまい、教え子が相談しようとしてもいないということで問題になりました。 古文の教師は予備校と高校の授業を比較して予備校ではお金を多くもらえるので変えているようなことを平気でいいがっかりしました。 もともと学力が高いか予備校に行っていた人だけが現役で有名大学に合格しました。 私は学校の授業と参考書や問題集で自分だけで勉強していたので、それに体力的に夜は11時までしか起きていられなかったので希望の大学には行けませんでした。 運が悪いことにその年から国立大学が共通一次試験に変わり、1回しか受けられなくなっていました。 浪人するだけの自信もなくなり、合格できた国立大学付属の臨床検査技師学校に決めました。 それでもどうしても大学に行く夢が諦めきれず、卒業後は研究室で非常勤職員として働きながら、推薦で夜間の大学の理学部に行きました。 教師の夢もありましたが、教育免許関係の授業まで体力的に無理で諦めました。 今は違うかもしれませんが公立高校に行く場合は自分で受験対策をしないと志望大学に行くのは難しいようです。 私の希望が高すぎたのかもしれませんが。 自慢のようなボヤキのようになってしまってすみません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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