カテゴリ:アート
絵の話。 前回とは内容が一気に変わりますが、、、共通点があるとしたらその「無限性」でしょうか。 草間彌生。日本の現代美術の先駆者。
初めの作品は近年の展覧会でもしばしば出品されている豆電球を使用したインスタレーション。2枚目はおそらく1960年代アメリカで活動中にさかんに描かれた無限の水玉。 お次はネットで画像検索したら必ず出てくる「かぼちゃ」の水玉模様。 無限に広がるドット(点)やネット(網目)、水玉は草間彌生のシンボル。現実のビルそのものをカラフルな水玉模様で覆ってしまったり、湖に無数の銀球を浮かべたり、スヌーピーも水玉模様にされてしまったり・・・。あっという間にクサマワールド。 彼女についてポップでキュートな捉え方をする人も多いようで、それは新しい見方でもあり、作品自身が昔より丸くなっているということかもしれません。しかし1929年生まれでもう77歳になる彼女の作品には様々な変遷があります。ただいつまでも変わらない凄まじいばかりの創作意欲には脱帽の一言です。 長野県松本市出身。実家はわりと裕福だったようです。しかし彼女が芸術の道に入るまでには家族との確執など様々な波乱がありました。彼女の創作の原点が、幼少時から見えた点や網の幻覚であることはよく知られています。1939年、10才の時に描いた母の絵が残っていますが既に絵の中に無数の点が出現しています。また離人症的な症状もあったようで彼女の人生は自身の病との闘いから始まったと言えます。 「・・・ ある日、机の上の赤い花模様のテーブル・クロスを見た後、目を天井に移すと、一面に、窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張りついている。部屋じゅう、身体じゅう、全宇宙が赤い花の形で埋めつくされて、ついに私は消滅してしまう。そして、永遠の時の無限と、空間の絶対の中に、私は回帰し、還元されてしまう。これは幻でなく現実なのだ。私は心底から驚愕した。そして、怖いインフィニティ・ネッツに身体を拘束される。 ここから逃げなくては、赤い花の呪詛にかけられて、私の生を奪われてしまう。夢中で階段に駆けていく。下を見ると、一つ一つの段々がバラバラに解体していく。その有様に足を取られて、上から転げ落ち、足をくじいてしまう。 のちに私の芸術の基本的な概念となる、解体と集積。増殖と分離。粒子的消滅感と見えざる宇宙からの音響。それらはもう、あの時から始まっていた。 また、しばしば私を悩ませたのは、私の周囲を、薄い絹のようで色の定かでない灰色の帳が取り囲んだこと。そういう日は、人が彼方に遠のいてしまい、小さく見えてしまう。人と対話しても、意味がまったくわからなくなってしまう。そんな時に外出すると、私は帰路を忘れ、路上を彷徨い、人の家の軒下にしゃがみこみ、思い出すまで一晩中、暗闇にじっとしていることが何度あったことか。離人カーテンの囚人となった私は時間と速度、人間の会話を失い、部屋に閉じこもってしまう。その結果、私は一層手に負えない"駄目な子供"となっていったのだ。・・・」 子供の頃から絵が好きだった彼女が、自分の感覚を取り戻すための唯一の手段が絵を描くことだったのです。 「・・・ そのようにして、物心つく頃から私の視覚や聴覚や心の襞には、自然界や宇宙、人間や血や花やその他さまざまなことが、不思議や怖れや神秘的な出来事として強烈に焼きついて、私の生命のすべてを虜にして離さなかった。そして、しばしばこれらの得体の知れない、魂の背後に見え隠れする不気味なものは、怨念にも似た執拗さをもって、私を強迫的に追いかけ廻し、長年の間、私を半狂乱の境地に陥れることになった。 これから逃れ得る唯一の方法は、その「モヤモヤ」、輝いたり、暗く深海に沈んでしまったり、私の血を騒がせたり、怒りの破壊へとけしかけるモモンガァ、それらは一体何だろうかと、紙の上に鉛筆や絵具で視覚的に再現したり、思い出しては描きとめ、コントロールすることであった。・・・」 芸術がなかったら、私はとっくに病に飲み込まれていただろう、と彼女は過去を振り返って言っています。私達が生半可で絵描きたいとか言ってるのとは動機からして違います。
京都でも1年間日本画を学び、1952年初めての個展も開いていますが、必然というべきか、当時の旧態依然とした日本の画壇には我慢できず1957年に遂に日本を飛び出しアメリカにわたります。 アメリカに渡る以前の作品は、原始的と言った方がよさそうなものでこれは決してけなしているわけではありません。私が彼女の作品により惹かれるのはむしろ渡米前の20代で若い頃の作品なのです。もう魂の叫びとしか言いようのない、内面を曝け出したような絵に激しく心が揺さぶられ動揺するのです。朝から晩までひたすら絵を描きまくっていたようで、それこそ一日何十、何百と。それらの絵をみると、心の奥底にわっと真っ赤な火がついたような、眠っていた自分の中の真実が一気に迸り出るような、そんな感覚になります。絵の好き嫌いという点では、相当好みが分かれるでしょうねえ。 渡米後の彼女の絵は、その国のスケールの大きさのためか、キャンバスが一気に巨大化します。そのキャンバスを埋め尽くす無限のドット。これだけを頼りにアメリカの美術界に乗り込み、やがて認められるのです。芸術に対する懐の広さはさすがアメリカか。
2005年日本で大規模な草間彌生の回顧展が行われました。東京国立近代美術館から始まって京都、広島、熊本、松本と、展示内容も増殖・変容しながら巡回。 美術館にあった自動販売機さえも水玉で覆われていました。もちろん中の缶も・・。
「無限の網」 「・・・ 芸術家を志している私は、理不尽な環境に打ち勝つということは、追いつめられた立場に置かれた己れの苦しい情況に打ち勝つということであり、人間として生まれてきた故の試練であると思っている。だから、私の全人格をもってそれに立ち向かいたい。こういうことに巡り合ったことも、一つの人の世の運命であるから。 天の啓示によって、私は神に生かされているのである。艱難辛苦、己れを玉にする毎日である。そして、歳月とともに、死を意識すること、日一日である。 光明に近づく求道の姿勢をいっそう深めたいと思い、大宇宙を背景にしても人間はしがない虫けらではないという畏敬の念を感じて、未来の心の位置を高めたい。そのため、私は芸術をそれへの手段として選んだ。これは一生かけての仕事である。私の心を、死んで百年の間にたった一人でもよい、知ってくれる人がいたら、私はその一人の人のために芸術を創りつづけるであろう。」 ウェブ・ページ。
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