カテゴリ:本
今日は雨。昨日は晴れ。少しずつ夏が近づいてきます。 別にタイトルに示すような悲しい話があったわけではありません・・・。 最近なかなか更新できなくなってます。
以前住んでいた所は東山区の平安神宮のすぐ近くにありました。昼は平日休日問わず老若男女、日本人外国人問わず大勢の観光客で賑わいますが、夜になると人の気配も消え、極めて静かになります。深夜ともなるとたまに暴走族が三条通りを通り過ぎ、爆音を立てて静寂を破ろうとがんばりますが5分もすればまた元通りの静けさです。 平安神宮の傍は琵琶湖からの疎水が神宮を囲むように流れています。また巨大鳥居の周りには京都市美術館や京都国立近代美術館もあり、広々とした空間になっています。
外からの帰り、よくこの平安神宮一帯を自転車で通過しました。酒で酔っ払っていることもあり、寒さに凍えながらひたすら自転車をこぎまくっていたこともあります。 平安神宮からも近い京都の名刹、南禅寺。やっぱり夜に出かけてみたことがあります。ここも夜は昼とは全く異なり人っ子一人おらず(猫一匹くらいはいますが)、静寂の中に身を置くことができます。
以前から闇というものに対して奇妙な興味があるのです。
おそらく僕の暗闇の原風景は小学生の時に北海道で札幌から稚内へ向かう夜行列車の窓からみた車窓です。人家なんて全く見えません。黒い鬱蒼とした森の影ばかり。それをなんとはなしに眺めていました。一体何時だったか、一瞬、民家の明かりが2つあっという間に窓を通り過ぎていきました。光! そのときの驚きだけが今も記憶の中に残っています。 高校の国語の教科書に一つの小説が載っていました。当時はそれほど気になったわけではないのですが、ある時ふと急に、非常に強く気になって、うろ覚えの作者名からその小説を探し出しました。 「蒼穹(そうきゅう)」 作者は、 わずか31歳でこの世を去った小説家です。大阪に生まれ京都の3高、そして東京大学文学部に進学。1925年同人雑誌「青空」を創刊、同誌上に「檸檬」を発表する。肺結核の治療のため、伊豆湯ヶ島に転地療養、川端康成と親交を結ぶ。病に悩まされつつも次々と作品を発表。帰阪の勧めに従い、大阪に帰るも度々の発熱と呼吸困難の後、1932年死去。 幼い頃から度々病に侵され、彼の作品には常に重い陰影がかかっています。しかし、重いはずなのにどこか清清しいのです。闇の中でもきらきらした輝きが見えるのです。若くして亡くなったこともあって彼の小説は青春小説として扱われることが多いです。 ちくま文庫から全集が出ていますが全1巻だけです。彼の生きた証が全て入っています。「檸檬」が一番有名です。この作品の舞台になった京都の丸善は昨年の10月閉店してしまい、残念ながらなくなってしまいました。その後に建ったのはバカでかいカラオケ店。時代の流れでしょうか。(最も執筆当時の丸善はまた今とは違う所にあったそうですが) また「桜の木の下には」もよく取り上げられる有名な作品です。上に書いた「蒼穹」は伊豆湯ヶ島を題材にしたもの。この中の闇の記述が、僕の眠っていた感情を呼び起こしたのでしょうか。
「蒼穹」 ・・・ ・・・ (省略) その夜私は提灯も持たないで闇の街道を歩いていた。それは途中にただ一軒の人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇の中であった。街道へその家の燈が光を投げている。そのなかへ突然姿をあらわした人影があった。おそらくそれは私と同じように提灯を持たないで歩いていた村人だったのであろう。私は別にその人影を怪しいと思ったのではなかった。しかし私はなんということなく凝っと(じっと)、その人影が闇のなかへ消えてゆくのを眺めていたのである。 その人影は背に負った光をだんだんと失いながら消えて行った。網膜だけの感じになり、闇の中の想像になり--ついにはその想像もふっつり切れてしまった。そのとき私は「どこ」というもののない闇に微かな戦慄を感じた。この闇のなかへ同じような絶望的な順序で消えてゆく私自身を想像し、云い知れぬ恐怖と情熱を覚えたのである。-- その記憶が私の心をかすめたとき、突然私は悟った。 雲が湧き立っては消えてゆく空のなかにあったものは、見えない山のようなものでもなく、不思議な岬のようなものでもなく、なんという虚無!白日の闇が満ち充ちているのだということを。私の眼は一時に視力を弱めたかのように、私は大きな不幸を感じた。濃い藍色に煙りあがったこの季節の空は、そのとき、見れば見るほどただ闇としか私には感覚出来なかったのである。 (1928年) 彼の作品にはとても繊細な情景描写があります。それは青空の中に湧き上がる雲、遠くで聞こえる物売りの声、オートバイの音、子供の遊び声、切なくて、儚い。そんな印象を受けます。
「城のある町にて」 ある午後 「高いとこの眺めは、アアッ(と咳をして)また格段でごわすな」 片手に洋傘、片手に扇子と日本手拭を持っている。頭が奇麗に禿げていて、カンカン帽子を冠っているのが、まるで栓をはめたように見える。--そんな老人がたからかにそう云い捨てたまま峻(たかし)の脇を歩いて行った。云っておいて此方を振り向くでもなく、眼はやはり遠い眺望へ向けたままで、さもやれやれと云った風に石垣のはなのベンチへ腰をかけた。-- 町を外れてまだ二里程の間は平坦な緑。I湾の濃い藍が、それの彼方に拡がっている。裾のぼやけた、そして全体もあまりはっきりしない入道雲が水平線の上に静かに蟠(わだかま)っている。-- 「ああ、そうですなあ」少し間誤(まご)つきながらそう答えた時の自分の声の後味がまだ喉や耳のあたりに残っているような気がされて、その時の自分と今の自分とが変にそぐわなかった。なんの拘りも知らないようなその老人に対する好意が頬に刻まれたまま、峻はまた先刻の静かな展望の仲へ吸い込まれていった。--風がすこし吹いて、午後であった。 ・・・ ・・・ (省略) 今、空は悲しいまでに晴れていた。そしてその下には町が甍(いらか)を並べていた。 白堊(はくあ)の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そして其処此処、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。或る家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻き上がった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝(くす)んだ下葉と新しい若葉で、いい風な緑色の容積を造っている。 遠くに赤いポストが見える。 乳母車なんとかと白くペンキで書いた屋根が見える。 日をうけて赤い切地を張った張物板が、小さく屋根瓦の間に見える。-- ・・・ ・・・ (省略) 空が秋らしく青空に澄む日には、海はその青よりやや温い深青に映った。白い雲がある時は雲も白く光って見えた。今日は先程の入道雲が水平線の上へ拡がってザボンの内皮の色がして、海も入江の真近までその色に映っていた。今日も入江はいつものように謎を隠して静まっていた。 見ていると、獣(けもの)のようにこの城のはなから悲しい唸声を出してみたいような気になるのも同じであった。息苦しいほど妙なものに思えた。 夢で不思議なところへ行っていて、此処は来た覚えがあると思っている。--丁度それに似た気持で、得体の知れない想い出が湧いてくる。 「ああかかる日のかかるひととき」 「ああかかる日のかかるひととき」 何時用意したとも知れないそんな言葉が、ひらひらとひらめいた。-- 「ハリケンハッチのオートバイ」 「ハリケンハッチのオートバイ」 先程の女の子らしい声が峻の足の下で次々に高く響いた。丸の内の街道を通ってゆくらしい自動自転車の爆音がきこえていた。 この町のある医者がそれに乗って帰ってくる時刻であった。その爆音を聞くと峻の家の近所にいる女の子は我勝ちに「ハリケンハッチのオートバイ」と叫ぶ。「オートバ」と云っている児もある。 三階の旅館は日覆をいつの間にか外した。 遠い物干し台の赤い張物板ももう見つからなくなった。 町の屋根からは煙。遠い山からは蜩(せみ)。 (1924年)
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