|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「また明日ね、、、」 母にいつものようにそう言って帰った。 そんな日々がこれからもずっと続くことをこれっぽっちも疑わずに。 ++++++++++++++ 施設から「ときどき呼吸困難をおこすから、一度専門の病院で検査をしたほうがいいと勧められて2月12日に入院。 やっと施設にも慣れかけていたのでちょっとがっかりしたけど母が入院した病院は施設よりもうちから近いのは有難かった。 2月14日。 朝、出かける前に母に会いに行って、午後からまた顔を見に行った。 一緒におやつを食べて、刺繍をする母を眺めながら、わたしはうきうきとバレンタインデーの夕食の献立を考えていた。 午後4時ごろ、、 「明日また来るね」と言ったわたしに 「明日は日曜日やから来なくていいよ」と母。 「ま、近いし明日も来るよ」 「じゃ、また明日ね、、、」 午後6時過ぎ。 ウキウキの夕食の準備も整い、風呂から上がる夫を待っていた、、そのとき、、 病院からの電話。 「お母さんの状態がちょっと良くないので今すぐ来てもらえますか?」 え!?と 思ったけど そのときでさえわたしは 「いったいどうしちゃったの?お母さん~」って程度で、そんなに深刻に感じていなかった。 病室はドクターとナースでごったがえし、いくつもの管でつながれた母は心臓マッサージをうけていてすでに意識はなかった。(と 思う。) 午後8時3分。 心臓マッサージの甲斐もなく 母は天に召されてしまった 病院の話によると 母は夕食を食べている途中に「めまいがする」とナースコールを押して、ナースが駆けつけたときにはすでに脈がかなり遅くなっており、そこから急変。 ドクターの話では母が患っていた多発性筋炎という病気のため、心臓のまわりの筋肉がかなり硬くなっており、少しの異変で心不全を起こす可能性はあった と。 こんなことになるのなら もっと優しくしてあげればよかった しばらくその思いに打ちのめされていたけど 常々「ぽっくり死にたい」「延命はせんといてよ」と言っていた母に 「・・・んなこと言いながら百まで生きるくせに」と返していたことを思い出して ああ、、母は自分の思いに近い感じで天に召されたのではないかと。 父のように死の恐怖と対峙することなく 「また明日」と思いながら亡くなったのだから。 残されたものには 受け入れ難い召され方だったけど。 父が膵臓がんとわかってから重い日々が続き、やがて父が亡くなり、その悲しみを感じる日まもなく残された体の不自由な母のことで奔走して、、、 そんな日々が少なくともあと10年は続くと信じきっていたので こんな形で今母を失って 呆然としてます たくさんの悲しいことやしんどいこと、苦しいこと、腹の立つこと、やりきれないことにつぶされそうになりながら いっぱい頑張ってきた ふと 気がつけば もう わたしには 父も母もいない だ なんて お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|