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カテゴリ:Mayuと乳がん
今日は真面目にお話します。
先日、以前からサイトや掲示板にお邪魔させていただいていたりしていた方の記事が女性セブンに載り、買って読みました。 そのことについては、読んだは読んだけれど特にここで話題にはしていませんでしたが、記事の最後に、「乳がんになってよかった」という一文がありそれに“引っかかり”を覚えた患者さんたちからの反響があるようです。 私のトコの掲示板にもコメントがありました。 私は別にその一文でどーのこーのとは思いませんでした。 その方が精力的に患者会活動をされて、元気に情報発信されていることを前々から知っていたし、本やサイトも読ませていただいて、同じように悲しいことや苦しいことを乗り越えた1人なんだと思うからです。同じ若年患者として、良い先輩でもあります。 そういう経緯かあったから引っかからずに読めたのかもしれませんね。 記事やその方とは関係なくても、「乳がんになってよかった」という発言をしてバッシングを受けたり、「メディアに出て発言する人は、もう少し考えて発言すれば?」と厳しい意見を言われたりしている方をよく見かけます。 でも、私は、 「人それぞれなんだから、いいんじゃないかなぁ。」 「別に、何も考えなしに取材を受けて発言しているわけではないんじゃないかなぁ」 「あくまで他人がまとめて書いた記事だよ?(その人の話したことを全て文章化したわけではない)」 というのが率直な意見です。 同じ乳がん患者と一口で言っても、初期で発見して何もなく元気な人もいれば、初期“なのに”転移が見つかっている人もいる。 私のように中期であっても、こうしてリンパ節に転移してる人もいれば、リンパ転移はなかったけれど、局所(乳房内)再発した人だっている。 「よーい、スタート!」で一斉に患者生活スタートしたって、流れる時間の“長さ”は一緒であっても、“時間の流れ方”“過ごし方”はそれぞれだと思う。 その人が病気が縁でどういう人に出会い、どういう医療環境に身を置いているか。何を思って何を感じたか、全部それぞれだと思う。 同じ結論に達するまでの時間だって違うし、きっかけだって違うはず。 病気そのもののことだけじゃなく、生活においても同じ。 患者になるまでに築き上げたものが、病気によって全部崩れた人だっているでしょうし、患者になったから“こそ”色々な物事を頑張れるようになった人もいる! だからといって私はまだ、「乳がんになって良かった」とは思える域に達していません。だけど、そう言っている人に対して腹も立たないし、何も考えずに物を言ってる風にも到底思えません。 こういうときって、言葉だけがピックアップされて一人歩きをする。その人がどういう頑張りを今までしてきて、どういう風に今の状態に自分自身を運んできたのか、そんなことはどこかに置き去られてしまう。 その方も後で書かれていましたが、「乳がんになって、良かった“と思うこともある”」と言ったのに、「乳がんになって良かった」と言ったかのような書かれ方になってたり、結構週刊誌などはそういう部分があると思います。 「乳がんになってよかった“と思うこともある”」ならば、私だって同じ意見です。 私も去年、週刊誌の取材を受けたときに、私が原稿を書いたかのように、「私は~」の書き出しで始まり、私が語っているかのような文章構成だったため(実際は記者さんが、私を主語にして全文書いたものです)、結構言われた部分もありました。 取材を通じて話した医大の受験のことを、思いがけず記事に盛り込まれたことで、「自慢だ」とか言われました。 でも、実際は別に、落ちたんだから自慢でも何でもないんですが。 むしろ、できればそこは記事にしてほしくなかった^^; だけど、修正を何度もお願いできるわけではなく、向こうもプロなので、こちらとしては言うに言えない部分もあるんですよね。 見開き2ページの記事の中で、どうしても“起承転結”が必要になり、導入部分と盛り上がる部分と、メリハリをつけなければいけない。物を書く立場からの観点と、こちらの思惑とが全てマッチするなんていうことも、結構難しいことかもしれません。 でも、記事になって出たものは、全て自分に降りかかってくる。 だから、結構危険な部分もあると思いました。 私は結果的に、取材を受けたことでトマトさんと知り合ったりミカさんと知り合ったり、サイトの開設にも至りました。 そうやって次々に色々な展開をもたらしてくれて、「取材を受けてよかった」と思えるに至ったわけです。 多少、知らない人に何か言われたりするくらい、別にイイワって思えるわけです。 記事だけをパッと見た方は、その記事の中身だけで、自分の捉えた内容だけでその人を判断してしまうじゃないですか。 それって、仕方ないことだけど、何か・・・こう・・・^^; クラスに30人の人間がいれば、30通りの考え方や人生があるように、乳がん患者だって、単に同じ病気をきっかけにして出会ったにすぎない関わりですよね。そこから、思いを共有して、苦楽を共にする仲間になるわけですよね。 そんな世界で、合う人もいれば合わない人がいるのも当然、もっと言うならば、「この人のことは好きだけど、この考え方だけは賛成できない」ということがあったって不思議じゃない。 「みんな一緒、同じ気持ち」という思い込みは、かえって危険ではないでしょうか。 今までずっと何でも分かり合えた仲間と、意見が分かれたからといってそれは裏切りでも何でもないし。 初めて出会った同病の人が、自分にとっては受け入れ難いことを言ったからといって、「あなたとは分かり合えませんね」と判断してしまうのはもったいない。 違う意見や考え、そういうものがいい意味で“遠慮なく”飛び交う&それを認め合える(賛同はしなくても、受け入れられるというか)関係こそいいんじゃないのかな。 考え方や結論の出し方が違ったからといって、“同じ病気なのに”、“同じ時間過ごしてきたのに”、“同じ考え方じゃない”からって、その考えを否定したりおかしいと思うことはおかしいんじゃないかと(私は)思ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月19日 15時26分36秒
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