稽 古
気候も暖かくなり、故障の心配も無く、思う存分、身体を動かせる季節に なってきた。 当然、内容は夏に向かって徐々にハードになっていくのだが、巧妙に質や 量を加減しているので、特に子どもは気が付かない(笑) 小学生の運動能力、スタミナの向上、その適応能力の素晴らしさは、ここ 数年、本当に痛感させられている。 30年程前、町道場で高校生のくせに、師匠に請われるまま、一般初心者と 少年部の指導を行っていたことがある。 あの頃は、自分が稽古したい一心で、初心者にはあまりにキツイ内容と なってしまい、せっかくの新人が、一般(大人)はポロポロと辞めてしまい、 (それでも、師匠からは文句ひとつなかったが)多少の反省はあったものの、 少年部の方はと見れば、苦しそうな表情の中にも、目の光は死んでいない 子が多く、しばらくすると、平気でついてこれるようになったものだ。 その後、子どもを教える機会はなくなったが、30年を経ても、子どもの 適応能力には変わりないことが確認でき、なんとも嬉しい気分である。 然しながら、少年部にはいくつかの壁がある。 中学に入ったときの部活が、一番ポピュラーであろう。 勿体無い気はするのだが、強制すべき性質のものではない。 そして、「空手自体に飽きてしまう」ケースも多い。 型ばかりの空手や、逆に、顔面攻撃のない、単調な組手の空手にこのケース が多いと思う。 最後に、中学生~高校生になって、一般部に行き、自分より、帯では格下の 大人に適わないケースがある。 いわゆる「フルコン系」にもこのケースは多く見られると思う。 教える側の技術体系の問題が主要因であり、道場・会派そのものの問題で あるだろう。 せっかく磨いた「玉」を曇らせてしまってはいけないし、多感な少年期を道場に 注いできた本人に、あまりに可哀想である。 その点、最近の「新空手(グローブ着用)」などでは、少年部から順当に一般部 に移行しているケースが多いと聞くが、面白いことに、うまくやっている道場の 多くが「大流派ではない」という。 うちも、規模の小ささなら負けないが(笑)、地域や当人に密着して、空手のみ ならず、多感な少年期から青年期の様々な悩みをも語れる環境にあるの だろうと、推察される。 考えてみれば、私自身、良し悪しは別として、現在の人格の多くの部分が、 高校時代に通っていた、小さな町道場で育まれたと実感している。 若気の至りで、マスコミ的に有名な会派に移ってしまったが、いまでも最初の 道場のことばかり思い出すものである。 少年・少女に関わる多くの指導者の皆さんの、奮闘を祈る次第。