稽古 ~猫を蹴った少年時代~
猫好きの方には、お許しいただきたい。 以下は、30年以上前の話であり、今では、勤務先に紛れ込み、ボイラの配管の傍で 動けなくなっている猫を助けてあげるくらい、やさしいオジサンですので。 中学生の頃。通学路に、ちょっとした森の小道があった。 目つきの悪いノラ猫が、毎日のように、挑発的に睨んできた。 「いつか蹴っ飛ばしてやろう」と、思っていたのだが、どうしても、2~3mの距離に 近づくと、スッと逃げられてしまっていた。 子どもの頃に、名人級の親戚に、剣の手ほどきを受けた頃のことを思い出した。 「無心」 中学生の私には、いや、今でも「無心」「無の境地」には程遠い。 それでも当時、考えに考え抜いた「戦法」は、「自分の殺気を消す」ということだった。 ある土曜日だったと思う。 まだ陽の高い帰り道、あの猫が見えた。 私は心の中で、「なんて可愛い猫だ」「あの猫と友達になりたいな~」と自己暗示を 書けながら、猫に歩み寄った。 いつも逃げられていた距離より近づいても、猫は動かない。 「やった」などと思って、心を波立たせないよう、さらに暗示を繰り返した。 「友達になりたいなあ」と思いつつ、そのまま蹴った。 「ふぎゃっ!」と、私の足は猫を弾き飛ばした。もちろん、さほどのダメージはなく、 木の根もとに飛んだ猫は、素早く態勢を整え、素早く走り去った。 あの時の猫には、本当に申し訳ないが、この時の経験が、この2年くらい後に始めた 空手の稽古で、活きることになった。 現在でも、ポンッと相手の虚を突くのは、非常に得意である。 相手の隙をつくというより、私の攻撃の気配を”ほぼ”消すのである。 「明鏡止水」ということばもあるが、逆に、こちらの心を「止水」にして、相手の心の 鏡に映させるのである。 稽古で人に教わったものではなく、自身で工夫して身に付けた部分が大きいが、 稽古とは所詮、そういうものであろう。