叔父の葬儀
日記がかなり御無沙汰になってしまったのは、叔父が逝ってしまったことと 無縁ではなさそうだ。 7/29の夕方、訃報を妹から知らされた。 あまり驚かなかった。 実は、昨年末、叔父は何故か親戚中で私だけに、「かなり悪い」ことを電話 で知らせてくれていた。 「延命治療はしない。お前も身体に気をつけてな。俺がいなくなったら、 女房と娘を慰めてやってくれ。」 と、いつものように淡々と告げられた。 アナクロな家系なのかも知れないが、我が家では、「逝き方」は「生き方」と 同様に重要なことである。 祖母が亡くなった時の葬儀では、親父たちは、 「ああやって、キッチリ逝かれると、プレッシャーだよな」と苦笑していたものだ。 そんな背景もあり、叔父に対して、当り前の言葉がかけられなかった。 「男が一度決めたことに、口出しはしません。が、もっと話したいこともあります。 もう一度だけ、考えてくれませんか?」 と、頼むのが精一杯だった。 結局、叔父は自分のスタイルを貫いたのだと、訃報を受けたときに思った。 親父の兄弟では最も若い叔父は、交友関係が多彩で、お坊さんから、世を 拗ねた人たちまでが、一緒に飲んでいるのを、同居していた頃、何度も見た。 今回も、全て友人たちに手配済みで、葬儀は親友のお坊さんが取り仕切って くれた。 神道の我が家で、お坊さんとはややムチャがあったが、あまりこだわらない 一族でもあり、お任せすることになった。 お坊さん(司祭)が、葬儀で泣いているのを生まれて初めてみた。 家族、親類以上に、友人に暖かく送られる叔父は、果報者だとも思った。 我が一族の悪い癖で、”お清め”が始まると、ガンガン飲みに走ってしまい、 気がつくと、叔父は一人ぼっちになっていた。 約束を果たすことを、その穏やかな”寝顔”に告げた。 そう永い別れでもなかろう。 あの世というものが、もしあるとすれば、胸を張って再会出来るように、やるべき ことをやらねばならない。