清は満州族支配の大国家だったのですが、漢民族の逆襲に会って国民党支配の中華民国となっていたのです。其処へ、日本軍は、満州国設立として日本の傀儡政権を設立させたことで、欧米ABCDに依る経済制裁され、石油資源多くの封鎖措置に遭遇、乾坤一滴の開戦に至ったのでした。
しかし、多勢に無勢で戦局は悪化、加えて現在では戦争犯罪の極とされる核兵器を2回も投下されて、米英ロのポツダム宣言を無条件受託することで、終戦となりました。
数年の連合軍占領を経て1951年サンフランシスコ平和条約にて、国際社会の仲間入りを果たすことになりました。領土的野望の少ないアメリカによる小笠原諸島返還、沖縄返還に依る国土回復は順調に思えました。
しかし、ロシアは北海道割譲を狙い、そのサンフランシスコ平和条約に署名することなく、北方領土の不法占拠を続けたのです。
ロシアは領土獲得に異様な執念があって、残虐な武力行為をすることで知られ、現在はウクライナ侵略戦争を継続中でもあり、兎に角日露戦争で放棄した南樺太を占拠して自国領土と宣言したのです。
加えて、同胞として国力獲得に協力し共に戦争に協力していた朝鮮族からの裏切りに会い、島根県竹島を不法占拠されて、朝鮮族の領土と宣言されることになりました。
未だ、終戦処理は終わっていないのです!