テーマ:政治について(20231)
カテゴリ:Opinion
この和歌は、飛鳥・奈良時代に仏教布教活動に際して、信者をインフラ整備も大事なことと納得させて、弱体であった国力充実を図ったことで、通常は庶民を迷わす僧侶と指摘して忌み嫌われる筈の政治権力側からも感謝され、仏教界最高位の「大僧正」称号を授けられた行基仏僧の作ったのでしたが、詠じた和歌でも判る様に穏やかな性格の人物だった様です。 日本に限らず現世界の国家元首の政治家や宗教界にも爪の垢を煎じて飲ませたい処です! 天智天皇7年(668年)生まれ、天武天皇11年(682年)に15才に大官大寺で出家。持統天皇5年(691年)、24才に葛城山高宮寺で受戒する。飛鳥寺、薬師寺で法相宗を学び名前を行基と改めた。教えを授けた道昭は、入唐して玄奘の教えを受けたことで有名であり、井戸を掘り、渡しや港に船を備え、橋を架ける等、後の行基の事業への影響を指摘されている。大宝4年(704年)、生家を家原寺に改め、母と暮らす。40才で生駒山の草野仙房に移り修行する。43歳で母を亡くし3年間喪に服す。 知識結とも呼ばれる新しい形の僧俗混合の宗教集団を形成して、近畿地方を中心に貧民救済や治水・架橋などの社会事業に活動した。 しかし、新しい宗教集団を寺の外での活動を禁じた僧尼令に違反するとされ、糾弾されて弾圧を受けた。行基の活動と国家からの弾圧に関しては、奈良時代において具体的な僧尼令違反を理由に処分されたのは行基のみである。 天平10年(738年)に朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられ、灌漑事業をはじめ、多くの行基の事業は権力側にとっても好ましいものとなる。やがて聖武天皇の方から接近して、行基は740年(天平12年)から聖武天皇に依頼され東大寺盧舎那仏像(大仏)建立に協力する。天平13年(741年)に聖武天皇が行基と会見し、同15年(743年)東大寺の大仏像造営の勧進に起用されている。勧進の効果は大きく、天平17年(745年)に朝廷より仏教界における最高位である「大僧正」の位を日本で最初に贈られた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.18 09:04:42
コメント(0) | コメントを書く
[Opinion] カテゴリの最新記事
|
|