寂光院といえば
本尊、地蔵菩薩、開基、聖徳太子と伝える平清盛の娘・建礼門院が平家滅亡後隠棲した平家物語ゆかりの寺です。 ”京の古寺から10 寂光院”(1995年8月 淡交社刊 小松智光/大木 明著)を読みました。 寂光院の四季を写真と文章で紹介しています。 特に、紅葉の季節の風景が印象深いです。 著者の小松智光さんは1910年滋賀県伊吹町に生まれ1920年得度し、比叡山専修院大学課程修了。 1945年に寂光院門主となり、1987年に女性初の天台宗大僧正となりました。 大木 明さんは1956年千葉県成田市生まれ、広告代理店の写真部を退社後フリーの写真家として独立しました。 1993年より仏教遺跡、寺社等の撮影を本格的に始めました。 寂光院は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院で、山号、清香山、寺号、玉泉寺です。 寂光院の草創について明確なことはわかっていませんが、寺伝では594年に聖徳太子が父用明天皇の菩提のため開創したとされます。 初代は聖徳太子の御乳人であった玉照姫で、その後、代々高貴な家門の姫君らが法燈を守り続けました。 第二代の阿波内侍は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官でしたが、出家のあと1165年に入寺し、証道比丘尼となりました。 建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされています。 第三代の建礼門院徳子は、1185年に入寺し真如覚比丘尼となりました。 建礼門院徳子は平清盛の娘で、高倉天皇の中宮、安徳天皇の生母です。 1185年、壇ノ浦で平家一族が滅亡した後も生き残り、侍女の阿波内侍とともに尼となって寂光院で余生を送りました。 寂光院や三千院のある大原の里は、念仏行者の修行の地であり、貴人の隠棲の地でもありました。 1186年に建礼門院をたずねて後白河法皇が寂光院を訪れました。 本尊は、聖徳太子作と伝えられる六万体地蔵尊でしたが、2000年5月9日発生の火災により損傷したため収蔵庫に安置することとし、現在は財団法人美術院によって復元された本尊が、本堂に安置されています。 現在の本堂は、内陣および柱は、飛鳥様式、藤原様式および平家物語当時の様式で、外陣は1603年に豊臣秀頼が、片桐且元を工事奉行として修理させた桃山様式のものを、古式通りに忠実に復元したものです。 また、江戸時代には、豊臣秀頼や徳川家康、淀君らが再興に手を尽くしました。 京の古寺から(10)