高桐院
大徳寺は、京都府京都市北区紫野大徳寺町にある禅宗寺院で、臨済宗大徳寺派大本山です。 ”京の古寺から13 高桐院”(1995年11月 淡交社刊 松長剛山/井上隆雄著)を読みました。 大徳寺の中にある高桐院の四季を写真と文章で紹介しています。 大徳寺は山号を龍宝山と称し、本尊は釈迦如来、開基は大燈国師宗峰妙超で、1325年に正式に創立されました。 境内には仏殿、法堂をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世の雰囲気を残しています。 松長剛山さんは、大徳寺塔頭、高桐院住職で、1943年大阪府に生まれ、花園高校を経て龍谷大学卒業。 1965年より建仁寺僧草にて修行、1971年より高桐院住職、三重龍王寺兼務住職。 井上隆雄さんは、1940年滋賀県生まれ、1965年京都市立美術大学卒業。 1973年より写真家となり、京都市立芸術大学、京都工芸繊維大字、京都精華大字の講師を務め、1984年京都市芸術新人賞受賞。 高桐院は細川忠興が叔父の玉甫紹そうを開山として創建し、父の藤考(幽斎)の菩提所として建立したもので、京都府京都市北区紫野にある臨済宗大本山大徳寺の塔頭のひとつです。 1645年に83歳で没した三斎は、遺言により高桐院に埋葬され、以後細川家の菩提寺として庇護されました。 客殿北には庭を挟んで、千利休の屋敷の広間を移築したと伝えられる書院の意北軒があります。 この書院に続いて、1628年に細川三斎が建てた利休風の茶室松向軒があります。 茶室松向軒は、秀吉が1587年に北野で大茶会を催したときの茶室であったと伝わります。 細川忠興と夫人の墓があり、忠興の墓塔は、もとは千利休からゆずられた灯籠で、秀吉に召し上げられるのを恐れて裏の一部を欠かしたといいます。 方丈南庭は、新緑、紅葉ともに美しく、とくに落葉が降り積もる秋は風情ゆたかです。 京の古寺から(13)