百の旅千の旅(感想)
旅は、人を含めて存在するすべての者が空間的、物理的に移動することです。 このエッセイ集は、五木寛之さんが夕刊紙「日刊ゲンダイ」に四半世紀以上にわたって連載してきた「流され行く日々」から抜粋したものと新たに書き下ろした言葉の集成です。 旅を日常とし日本のまだ見ぬ地を歩き続け、20世紀末から21世紀初頭にかけて書き記しています。 今後の日本や日本人の生き方を示唆するエッセイがたくさんあります。 ”百の旅千の旅 ”(2004年1月 小学館刊 五木 寛之著)を読みました。 時間と空間を超えて旅することによって心身のエネルギーにするエッセイ集です。 五木寛之さんは、1932年福岡県生まれ、生後間もなく朝鮮半島に渡り、1947年に引揚げ、早稲田大学文学部露文科に学び、その後、PR誌編集、作詞家、ルポライターを経て、1966年に第6回小説現代新人賞、1967年に第56回直木賞、1976年に吉川英治文学賞を受賞しました。 現在まで小説、評論、エッセイと幅広く著作活動を続け、その分野は文学、音楽、美術、演劇まで多岐に渡ります。 柳田国男さんによれば、旅の原型は租庸調を納めに行く道のりのことであるそうな。 食料や寝床は毎日その場で調達しなければならないもので、道沿いの民家に物乞いする際に”給べ”といっていたことが語源であるといいます。 第一部の日常の旅では、旅の途上で書きつづられたその年、その日の飾らぬ言葉に、時代の流れが見えてきます。 第二部の思索の旅では、老いと死、日本人的宗教観と寛容の精神、そして旅の一瞬の休息にこころは世界を駆け巡ります。 旅の中で考え、原稿を書き、本を読む。そんな暮らしを理想としています。 知らない土地を旅することは、自分の精神と肉体の活性化につながり、いい刺激を与えてくれる。 シベリア横断のようにスケールの大きい冒険や探検だけが良いのではなく、いつもと違う横丁をひとつ曲がってみたり、草の中に寝ころんで、普段とは目線を変えてみるのも旅といえます。 働いていて放浪の旅などできないという人でも、ドアを開けて一歩踏み出せば、それがもう旅の始まりなのです。 ぼくはこんな旅をしてきた第1部 日常の旅 わが「移動図書館の記」 日常感覚と歴史感覚 カルナーの明け暮れ あと十年という感覚 日本人とフットギア 蓮如から見た親鸞 老いはつねに無残である 長谷川等伯の原風景 英語とPCの時代に 身近な生死を考える ちらっとニューヨーク 演歌は二十一世紀こそおもしろい 寺と日本人のこころ 「千所千泊」と「百寺巡礼」第2部 思索の旅 限りある命のなかで 「寛容」ということ 趣味を通じて自分に出会う 旅人として