ザビエルの同伴者 アンジロー(感想)
フランシスコ・デ・ザビエルは、1506年ナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師で、イエズス会の創設メンバーの1人のバスク人です。 1549年に、日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名です。 そのザビエルの目を未知の日本に向けさせ、ついに日本行きを決意させ、よき同伴者となった日本人がアンジローです。 ”ザビエルの同伴者 アンジロー”(2001年9月 吉川弘文館刊 岸野 久著)を読みました。 ザビエルを日本に導きキリスト教布教を助けた日本人アンジローの果した歴史的役割を紹介しています。 岸野久さんは1942年東京都八王子市生まれ、1965年立教大学法学部法律学科卒業、1975年立教大学大学院文学研究科博士課程単位修了、2000年文学博士、現在、桐朋学園大学短期大学部教授、東京外国語大学非常勤講師です。 世界宣教をテーマにしていたイエズス会は、ポルトガル王ジョアン3世の依頼で、会員を当時ポルトガル領だったインド西海岸のゴアに派遣することになりました。 ザビエルはシモン・ロドリゲスとともにポルトガル経由でインドに発つ予定でしたが、ロドリゲスがリスボンで引き止められたため、他の3名のイエズス会員、ミセル・パウロ、フランシスコ・マンシリアス、ディエゴ・フェルナンデスとともに、1541年にリスボンを出発しました。 アフリカのモザンビークで秋と冬を過して、1542年に出発しゴアに到着しました。 そこを拠点にインド各地で宣教し、1545年にマラッカに、さらに1546年にモルッカ諸島に赴き、多くの人々をキリスト教に導きました。 マラッカに戻り、1547年に出会ったのが鹿児島出身のアンジローという日本人でした。 故郷で殺人を犯して東南アジアに逃亡中、ポルトガル船長ジョルジュ・アルバレスに同行してマラッカに渡っていたといいます。 アンジローは1511年頃の生まれで、ザビエルの導きでゴアに送られ、1548年の聖霊降臨祭にボン・ジェス教会で日本人として初めて洗礼を受けました。 霊名は、パウロ・デ・サンタ・フェといい、聖パウロ学院でキリスト神学を学びました。 日本でキリスト教の布教をした場合についてザビエルに問われ、スムーズに進むだろうと答えました。 アンジローの人柄と彼の話す日本の様子を聞き、ザビエルは日本での活動を決意したといいます。 ザビエルは1548年にゴアで宣教監督となり、1549年に、イエズス会士コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、ゴアで洗礼を受けたばかりのアンジローら3人の日本人とともに、ジャンク船でゴアを出発して日本を目指しました。 一行は明の上川島を経由して、アンジローの案内でまずは薩摩半島の坊津に上陸しました。 その後、許しを得て、現在の鹿児島市祇園之洲町に来着しました。 伊集院城で薩摩の守護大名・島津貴久に謁見し、宣教の許可を得ました。 アンジローは日本語教師として、また、聖書の一部の翻訳に従事したりして、ザビエルの活動を助けました。 しかし、貴久が仏僧の助言を聞き入れ禁教に傾いたため、京にのぼることを理由に薩摩を去りました。 その後、ザビエル離日後、アンジローについて、ルイス・フロイスなどに証言があるものの、いかなる人生を送り、いずこで亡くなったかは不確かです。 一説では、1551年初頭に信仰を失い、中国に渡って寧波で盗賊に殺されたということです。ザビエルの日本人ガイド-プロローグ日本人アンジローマラッカ-ザビエルとの出会いゴア-聖パウロ学院留学鹿児島-ザビエルの同伴者アンジローの評価-エピローグ