スペイン・ロマネスクへの旅(感想)
ロマネスクは、建築、彫刻・絵画・装飾、文学の様式の一つです。 建築用語、美術用語としては、10世紀末から12世紀にかけて、旧ローマ帝国に相応する広い地域の西ヨーロッパに広まりました。 フランス、スペイン、イタリア、ドイツ、英国、北欧などです。 ”スペイン・ロマネスクへの旅”(2011年3月 中央公論新社刊 池田 健二著)を読みました。 フランス編、イタリア編に続く、スペイン編のロマネスクへの旅です。 ロマネスクの時代に、スペインという国家は存在しません。 イベリア半島は、ピレネーを背に地中海を見晴らすカタルーニャのだ大地で、当時、半島はキリスト教世界とイスラム教世界に引き裂かれていました。 池田健二さんは、1953年広島県尾道市生まれ、上智大学文学部史学科卒業、同大学大学院博士課程修了で、上智大学講師を務めています。 専攻はフランス中世史、中世美術史で、25年以上にわたりヨーロッパ全地域のロマネスク教会を詳細に調査しています。 イベリア半島では、レコンキスタの進展に伴い次々と教会や修道院が建てられました。 レコンキスタは、718年から1492年までに行われた、 キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動です。 ウマイヤ朝による西ゴート王国の征服とそれに続くアストゥリアス王国の建国から始まり、1492年のグラナダ陥落によるナスル朝滅亡で終わります。 その間、北では、レオン、カスティーリャ、ナバラ、アダゴン、カタルーニャなどのキリスト教諸王国や、諸伯領が勢力を拡大しました。 南では、後ウマイヤ朝の滅亡によって生じた小王国や、北アフリカから渡来したイスラム王権が興亡しました。 キリスト教徒の諸君主は、再征服した大地に残る都市や農村の再建と復興に努め、最初に再建されたのが教会でした。 人材はヨーロッパ各地から招聘され、北イタリアや南フランス出身の建築家たちが活躍しました。 イスラム世界から移住したモサラベや、キリスト教世界に残ったムデハルたちも建設運動に参加しました。 モサラベは、ムスリム支配下のイベリア半島におけるキリスト教徒で、ムデハルはムスリム=イスラム教徒です。 さらに、この地の石工の技術も運動を支え、イベリア半島独自の個性を主張する、スペイン・ロマネスクの芸術が生まれました。 西ゴート、アストゥリアス、モサラベといった魅力的なプレロマネスクの影響も受けながら、半島独自のロマネスク芸術が花開きました。 スペインのロマネスク芸術は、フランスやイタリアの後を追って発展したのではなく、ロンバルディアとカタルーニャの初期ロマネスク教会は同時期に建設され、トゥールーズとフロミスタの教会、モワサックとシロスの回廊も同時期に工事が進んでいました。 スペインのロマネスク芸術は、フランスやイタリアのロマネスク芸術と共振しながら、同時に発展したのです。 ロマネスク時代は11世紀と12世紀で、13世紀はゴシックの時代と言われますが、スペインの場合は13世紀に入っても引き続きロマネスク様式の教会が建てられています。 ゴシック大聖堂は巨大な構造と華やかなステンドグラスで、訪れる者を圧倒してしまうような迫力があります。 その何十分の一にも満たない規模の田舎の小さなロマネスク教会が、それに劣らず現代の私たちを惹きつけてやみません。 カタルーニャだけで2,000を越える多数のロマネスク教会があり、毎年何十万人もの巡礼者をエルサレムやサンティアゴ・デ・コンポステーラに向かう命がけの旅に駆り立てました。 中世のサンティアゴ巡礼は、ただひたすら先を急ぐだけの旅ではなく、霊験あらたかとされる霊場があれば、巡礼者たちは回り道をすることもいといませんでした。 本書では、ロマネスクの教会だけでなく、バルセロナのカタルーニャ美術館やハカの司教区美術館のロマネスクの展示も取り上げられています。 さらに、美しい写真の数々から、スペインのロマネスクの持つ荒々しい魅力が直に伝わってきます。カタルーニャ地方1カタルーニャ地方2アラゴン地方ナバラ地方カスティーリャ・イ・レオン地方1カスティーリャ・イ・レオン地方2アストゥリアス地方ガリシア地方