やればできる(感想)
ニュートリノは素粒子のうちの中性微子で、電子ニュートリノ・ミューニュートリノ・タウニュートリノの3種類もしくはそれぞれの反粒子をあわせた6種類あると考えられています。 ニュートリノ天文学は、太陽や超新星爆発で生成されるニュートリノを観測し、天文現象の解明に役立てることを目的としています。 ”やればできる”(2003年1月 新潮社刊 小柴 昌俊著)を読みました。 自ら設計を指導・監督したカミオカンデによって、史上初めて自然発生したニュートリノの観測に成功するまでの道筋と未来を述べています。 日本の観測装置としてはカミオカンデ、スーパーカミオカンデ、カムランドがあります。 カミオカンデは、ニュートリノを観測するために、1983年に完成した岐阜県神岡鉱山地下1000mの観測装置です。 1996年にスーパーカミオカンデが稼動したことによりその役目を終え、現在は跡地にカムランドが建設され、2002年1月23日より稼動を始めています。 1987年2月23日、カミオカンデはこの仕組みによって、大マゼラン星雲でおきた超新星爆発で生じたニュートリノを、偶発的に世界で初めて検出しました。 小柴昌俊さんは1926年愛知県生れ、1951年東京大学理学部物理学科卒業、1955年米国ロチェスター大学大学院修了、1970年東京大学理学部教授に就任し、1987年退官後は東京大学名誉教授を務めています。 2002年にノーベル物理学賞を受賞、勲一等旭日大綬章、ドイツ大功労十字章、仁科記念賞、朝日賞、日本学士院賞、文化勲章、ウルフ賞なども受賞しています。 父親は千葉県館山市出身の陸軍歩兵大佐、母親は千葉県木更津市の農家の末娘でした。 1歳の頃、東京の西大久保に転居し、1933年に新宿区立大久保小学校に入学、1939年に神奈川県立横須賀中学校に入学し、1年生のときに小児麻痺に罹患しました。 幼いころは軍人か音楽家を目指していましたが、小児麻痺により両方とも諦めることになりました。 しかし、その入院中に担任から贈られたアインシュタインの本が物理学者を目指すきっかけとされています。 1944年に東京明治工業専門学校に入学し、1945年に旧制第一高等学校に入学し、1948年に東京大学部物理学科に入学しました。 旧制第一高等学校時代は落ちこぼれで成績が悪く、風呂場裏で、小柴は成績が悪いから東大へ進学してもインド哲学科くらいしか入れない、と話す教師の雑談を聞いて一念発起したそうです。 寮の同室の同級生を家庭教師に、物理の猛勉強を始め東大物理学科へ入学したといいます。 ”やれば、できる”と言う由縁は、この自らの体験から生まれたものと思われます。 猛勉の末入学した物理学科の成績はビリであったということです。 1951年に物理学科を卒業し、大学院理学系研究科に入学しました。 研究テーマは、原子核乾板による素粒子実験学でした。 成績は悪かったのですが、朝永振一郎に推薦状を書いて貰いフルブライト奨学生として1953年に米国ロチェスター大学博士課程へ留学しました。 そして、1955年にPh.D.を取得して、シカゴ大学研究員に就任しました。 ロチェスター大学では留学生手当てが少なく生活が苦しかったそうですが、Ph.D. を取得し博士研究員として大学に在籍すると給与が倍増されると聞き、1年8ヵ月で博士号を取得したそうです。 1年8ヵ月での博士号取得はロチェスター大学での最短記録であり、この記録は現在でも破られていないといいます。 1959年に一時帰国し慶子夫人と結婚し再び渡米、後に1男1女を儲けました。 1962年にアメリカから帰国し、東京大学原子核研究所助教授に就任、1963年に東京大学理学部物理学科助教授に就任、1967年に東京大学理学博士取得、論文のテーマは、超高エネルギー現象の統一的解釈でした。 学位は、ロチェスター大学Ph.D.、東京大学理学博士、称号は日本学術会議栄誉会員、東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授、明治大学名誉博士、東京都名誉都民、杉並区名誉区民、横須賀市名誉市民、杉並区立桃井第五小学校名誉校長です。 勲等は勲一等旭日大綬章、文化勲章受章です。 自らを変人学者、東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれと称し、現場主義の研究者としての立場を貫いています。 常に人の役に立つ研究を考えて、一般的に予算が付きにくい基礎科学の研究分野を対象として、私財を投げ打って研究推進を目的とした財団法人を新たに設立したといいます。 基礎科学、純粋科学に光を当て、教育により意欲と夢を持った若者を数多く育てようとしています。 人間やればできるが、その人が心底から一生懸命にやらないと出来ない、ということです。はじめに―受賞の夜に第1章 なぜか物理の道へ第2章 成績どん底の大学時代第3章 夢のアメリカ行き第4章 カミオカンデへの道第5章 十七万光年の彼方からの贈り物第6章 日本人よ、胸を張れ!付 録 平成13年度東京大学卒業式祝辞