日本人は、なぜ富士山が好きか(感想)
標高3776.24 mの富士山は、静岡県(富士宮市、裾野市、富士市、御殿場市、駿東郡小山町)と、山梨県(富士吉田市、南都留郡鳴沢村)に跨る活火山です。 奈良・平安時代から江戸時代に至るまで多くの歌や随筆、絵画によって描かれてきた富士山は、いまや日本美の象徴であり日本人の心の山となっています。 ”日本人は、なぜ富士山が好きか”(2012年9月 祥伝社刊 竹谷 靭負著)を読みました。 日本最高峰の独立峰で優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られ、数多くの芸術作品の題材とされ芸術面で大きな影響を与えてきました。 また、気候や地層など地質学的にも大きな影響を与えている富士山は心の山だといいます。 竹谷靱負さんは、本名・竹谷誠、1941年東京生まれ、富士山北口の御師である竹谷家の長子で、父親は出生前に出征、戦死したため、母親の生家である東京・武蔵野市で育ちました。 ペンネームである竹谷靱負は、富士山北口に戦国期より約400年続く富士山北口御師である竹谷家の世襲名です。 早稲田大学理工学部応用物理学科入学、1967年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了、同年より日本電気株式会社中央研究所に勤務しました。 同社在職中の1981年に理学博士となり、1987年より拓殖大学工学部情報工学科助教授、1991年同大教授。2009年同大名誉教授となりました。 富士山学、富士山文化、富士信仰(富士講、富士塚など)に関する研究にも取り組み、現在、富士山の文化研究、富士山学専門家の第一人者です。 富士山は古来霊峰とされ、特に山頂部は浅間大神が鎮座するとされたため、神聖視されてきました。 噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立されました。 また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の霊場としても認識されるようになり、登拝が行われるようになりました。 これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験や富士講といった一派を形成するに至りました。 富士山は、日本一の山-これについて異論を唱える人は少ないでしょう。 東京の東京らしさは富士を望み得る処にある、といって憚らなかったのは永井荷風です。 江戸っ子に限らず、富士山が予期せぬところで見えると何かしら得をした気分になりますし、その日一日よいことがありそうな予感がします。 それどころか、畏敬の念というか、手を合わせたくなるから不思議です。 なぜ富士山が日本一なのでしょうか、日本一高い山だからでしょうか。 そういえば、最近はあまり歌われなくなりましたが、明治43年の文部省唱歌「ふじの山」の歌詞を見ると、やはり高く聳える富士山だからこそ日本一ということになります。一 あたまを雲の 上に出し/四方の 山を 見下ろして/かみなり さまを下に きく/ふじは 日本一の 山二、青ぞら 高く そびえたち/からだに 雪の きもの きて/かすみの すそを とほく ひく/ふじは 日本一の 山 第三期・国定教科書『尋常小学岡語読本』巻六(大正7~12年)中にある「日本の高山」では、兄弟の少年が富上山について無邪気な会話をしています。 そして最後に、「高くて名高いのは、どの山ですか」「それは富士山さ」と書かれています。 明治28年に台湾が日本の統治下に入ったため、日本一の高山は台湾の最高峰・3952mの玉山になりました。 しかし、兄弟は、台湾を含めた当時の日本の中で、山の偉大さを高さだけでなく名高さでも測ると、日本一の山は富士山だと主張したのでした。 富士山に対する名高さの観念は、古代、万葉歌人・高橋虫麻呂は、富士を「くすしくもいます神かも」と詠ったことにも見られます。 古代の富士は噴火を続けていて、貞観の大噴火をはじめとする度重なる噴火により、古代人はそこに荒ぶる神の姿を見て、霊妙な富士のイメージを増幅していったのでしょう。 さらに、富士山の特殊性はその山容の美しさにあり、富士山が好きな理由を尋ねられたら、たいがいの日本人は「美しいから」「崇高に見えるから」「独立峰だから」などと答えるにちがいありません。 平安期から中世にかけての多くの絵画・絵巻にその誇らしげな姿が表現され、文学においても同様に、万葉歌人・山部赤人は富士を「神さびて高く貴き」と詠いました。 そして、江戸期の漢詩人・石川丈山は「八面玲朧、面向不背」と詠みました。 いずれも霊妙な富士のイメージに加え、完全なシンメトリーをもつ円錐形の山容が、美を醸しだしているという富士山讃歌です。 現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季シーズンには富士登山が盛んです。 日本三名山、日本百名山、日本の地質百選に選定され、1936年には富士箱根伊豆国立公園に指定されています。 その後、1952年に特別名勝、2011年に史跡、さらに2013年6月22日には関連する文化財群とともに「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名で世界文化遺産に登録されました。 第一章「富士山は両性具有の山である」では、祭神論が語られています。 第二章「富士山は、神仙郷である」では、三峰論が考察されています。 第三章「富士山はどこにでもある」では、各地にあるところ富士(ご当地富士)を文化的に解説されています。 第四章「富士山は外国からも見える」では、富士山は蝦夷や朝鮮や琉球からも見えるといいます。 第五章「富士山は世界に誇る山である」では、葛飾北斎や横山大観の富士が取り上げられています。 そして、第六章では「富士山は心の山である」となっています。第一章 富士山は、両性具有の山である/富士山には、人格がある/遥拝する山から、登拝する山へ/富士山の祭神は、男神か?女神か?/庶民が登拝する山へ第二章 富士山は、神仙郷である/なぜ子供は、富士山をギザギザの三峰に描くのか?/富士山を三峰としたのは誰か/伝説と神話の中の富士山/富士図のイコノロジー第三章 富士山は、どこにでもある/「ところ富士」という文化/富士山と国粋主義/外国にもある「ところ富士」第四章 富士山は、外国からも見える/蝦夷からも、見えた?/朝鮮からも、見えた?/琉球からも、見えた?/日本型中華思想の表現第五章 富士山は、世界に誇る山である/北斎はなぜ、富士を仰がせたのか/横山大観の得た境地-「心神」第六章 富士山は、心の山である/「富士は心の山なり」/病んでいる富士山は、日本人の心の労(いたつ)き/「噴火後の富士」を想定する