サハラ砂漠 塩の道をゆく(感想)
サハラ砂漠はアフリカ大陸北部にある砂漠で、氷雪気候の南極を除くと世界最大の砂漠です。 南北1,700千米に渡り面積は約1,000万平米であり、アフリカ大陸の3分の1近くを占めています。 ”サハラ砂漠 塩の道をゆく”(2017年5月 集英社刊 片平 孝著)を読みました。 ラクダのキャラバンで運ばれる塩の交易アザライに密着した、往復1500キロ、42日間の大旅行を写真と文章で紹介しています。 サハラ砂漠全体の人口は約2,500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住んでいます。 サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットです。 その他、重要な都市としては、ヌアディブー、タマンラセト、アガデズ、セブハ、インサラーが挙げられます。 かつてこのサハラの奥地に、金と同じ重さで取引された岩塩がありました。 いにしえの黄金都市トンブクトゥからサハラ砂漠奥地のタウデニ岩塩鉱山への、いのちの塩を求めての旅でした。 片平孝さんは1943年宮城県生まれの写真家で、1969年からサハラに魅せられ、砂漠の旅を続けました。 1972年にハウサ族のラクダのキャラバンに密着し、サハラの塩の道の東西ルートを踏破しました。 この時、命懸けで塩を運ぶ人々の姿に感動し、以来、塩を産出する土地を求めて、世界中で取材を続けています。 サハラにおいてもっとも希少な資源は水ですが、サハラは数千年前までは湿潤な土地であり、そのころに蓄積された化石水が地底奥深くに眠っています。 この化石水は現在の気候条件下では再生不可能なものであり、使用しきってしまえば一瞬にして無用の長物と化すと言われています。 サハラはさほど鉱物資源の多い地域ではありませんが、それでもいくつかの大規模鉱山が存在します。 サハラでもっとも豊富で価値のある資源は石油です。 とくに、砂漠北部のアルジェリアとリビアには豊富な石油が埋蔵されています。 アルジェリアのハシメサウド油田やハシルメル油田、リビアのゼルテン油田、サリール油田、アマル油田などの巨大油田が開発され、両国の経済を支えています。 また、モロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵されています。 西サハラのブーカラーで採掘されるリン鉱石は全長約90千米以上のベルトコンベアーで首都アイウンまで運ばれ、船に積み込まれます。 この採掘は全域が砂漠の西サハラにおいて最大の産業となっています。 このほか、砂漠西部のモーリタニア北部、ズエラットには巨大な鉄鉱床が存在しています。 ここで採掘される鉄鉱石は近年大西洋沖合いにて石油が発見されるまでモーリタニア経済の柱となってきました。 また、砂漠中央部、ニジェール領アーリットにはウランの鉱床があり、アクータ鉱山とアーリット鉱山の2つの鉱山が開発されています。 ほかに見るべき産物のない、ニジェール経済の牽引車となってきました。 また、北東部のリビア砂漠においては、リビアングラスという天然ガラスが埋蔵され、古代エジプト時代より宝石として珍重されてきました。 また、サハラ北部には砂漠のバラが多数存在し、土産物となっています。 歴史上においては、サハラでもっとも貴重な鉱物は塩でした。 古来、人々は、塩を手に入れるために命を賭して戦い、様々な工夫と知恵を絞ってきました。 古代から近代に至るまで、多くの国の財政は塩にかけた税金で賄われていました。 フランス革命は、塩にかけた重税に対する民衆の怒りの爆発でもありました。 塩は時に思いもよらない力と価値を生み出します。 かつて金と同等の希少価値を持つ塩がありました。 塩が奴隷の体重と同じ重さで取引された時代もあります。 しかし、現代の塩は台所の隅っこでただの調味料として無関心に扱われ、塩の摂り過ぎは健康を害するとして悪者扱いされることさえあります。 塩は、人の命を繋ぎ、人の命を破壊する諸刃の剣でもあります。 塩のふるさとは太古の海です。 大昔に海だったサハラ砂漠には、海塩をはじめ、湖塩、岩塩など、地球上のすべての塩が存在しています。 なかでもサハラ砂漠の奥地に産出する岩塩は、かつて王者の商品とまで呼ばれ、塩の採れない西アフリカ内部の森林地帯では金と同じ重さで取引されるほど、大変な貴重品でした。 アフリカの政情は、空模様のように変わります。 たまたま治安が良くなった年がありました。 2002年に世界遺産の撮影で28年ぶりにトンブクトゥを訪ねた時、外国人でもタウデュ鉱山に行けるようになったことを知りました。 2003年12月にアザライと旅をするという夢を実現させるために、4度目のマリに飛びました。 初めてアザライを目にしてから、すでに33年の時が流れていました。 本書はこのときの記録です。第1章 タウデニ岩塩鉱山への旅立ち/第2章 タウデニ岩塩鉱山/第3章 タウデニからの帰り道/第4章 旅の終わりの試練