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上田喜四郎の実践「日月神示」

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2015.08.23
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テーマ:日月神示(43)
カテゴリ:日月神示

出口王仁三郎の気付かれざる「出生の因縁」

 当ブログにお越しの皆様、お待たせしました。
 本日23日は、以前から告知している通り、
       熊本県所在 幣立神宮「五色神祭・大祭」
でした。

幣立神宮 ドローン

 参列された方がいらっしゃれば、お疲れ様でした。共に「平和への祈り」を捧げられた事に感謝します。今年の五色人になられた代表者は、御皇室の伏見宮殿下、安倍総理大臣の妻、昭恵夫人が5年ぶり2度めの代表を務められました。御縁のある方は、やはり引き寄せられるものです。
 それでは、「出口王仁三郎の気付かれざる出生の因縁」を公開します。
 出口王仁三郎には誕生日が2つあります。
「キャバ嬢の営業用誕生日でもあるまいし」
「某皇室の御落胤説」
等の軽い話ではありません。来訪される方の貴重な時間をさくのですから、内容は深く、証拠資料付きです。
 誕生日の一つは、前回ブログで公表した通りです。数多くの資料が
・1871年8月27日(明治4年旧7月12日) (ウィキペディアより)
としているので、多分、この日が、一般的だと思います。
 次に、王仁三郎自身は、自らの誕生日について何月何日と言ったと思いますか?
 旧7月12日(新の8月23日)(出口王仁三郎聖師の玉言集『新月の光(カケ)[上巻]より)

           本日は、8月23日
です。
「印刷ミスだろう」と思われた方もいるかもしれません。何よりも私、喜四郎の陰謀だと思われたかも知れませんね。
 しかし、肝心なことは王仁三郎の高弟・木庭次守が蒐集編纂した書籍ということです。ここには、王仁三郎自身が自ら生まれた日の情景について「句」を残しています。

大本の神器「御手代」と聖師日和
 大正12(1923)年8月、聖師は熊本県阿蘇郡小国町の杖立温泉で湯治された。
 この時、誕生日の旧7月12日(新の8月23日)夜の月を仰いで、杖立名産の竹の杓子の裏に

  この杓子我生れたる十二夜の月の姿にさも似たるかな王仁

  (此杓子吾生れたる十二夜の月のかたちによくも似しかな王仁)
御手代歌碑

             御手代歌碑
「万物の 身魂を救う この杓子 心のままに世人救えよ」表側

御手代歌碑 裏面
「此杓子吾生れたる十二夜の月のかたちによくも似しかな王仁」裏側
 本日、当ブログに来訪された皆様と、出口王仁三郎の生誕144周年を心から祝ってあげられるだけでも良いのですが、それでは私の予告「出口王仁三郎の生誕の因縁」が完成しませんので、もう少しお付き合い下さい。
「此杓子吾生れたる十二夜の月のかたちによくも似しかな王仁」 
上記の句は、
 熊本県小国町「杖立温泉郷」で読まれました。以前、紹介した
http://plaza.rakuten.co.jp/kisirou/diary/201504080000/
http://plaza.rakuten.co.jp/kisirou/diary/201504120000/
です。王仁三郎は、約1ヶ月滞在したそうです。http://www.h2.dion.ne.jp/~sakurait/kyuushuukennshuukaihoukoku.htmlより
 当ブログを以前から閲覧された方なら、ここで疑問が浮かぶと思います。
「九州で数々の霊場を開き、色々な神示を世に示した王仁三郎ほどの霊能力者が、九州の臍(中心)、ゼロ地場地点の幣立神宮の存在に気付かなかったのか?」
 公式の大本教関係の資料を見る限り、「幣立神宮へ参拝」の記録は、私には発見できませんでした。
 8月23日 幣立神宮「五色神祭」=出口王仁三郎生誕の日(私以外、誰も気にもしなかった)
 私の推測を提示します。

1 幣立神宮は、先代、故春木秀映宮司が、昭和7年神職を継承し、平成7年に「五色神祭」を世に公表。
 それまでは、田舎の神社で地元の人しか知られていなかったようです。








参照
2 出口王仁三郎の熊本巡礼は、「弥勒最勝妙如来像」「関東大震災の予言」等、入蒙への壮大な下準備だったと言えます。入蒙とは、第一次大本事件の後、責付出獄の身で満蒙に渡り、御神業を行い、弥勒の世へ以降を断念、日本の建替になりました。
 つまり、
             8月23日 誕生日説
にも隠された意味があるはずです。歌碑の表裏にわざわざ句を刻んだのですから。
3 幣立神宮は、先代宮司が御神命を受け、独力で広めた事で、独自性と中立性が保たれ、現、春木伸哉宮司の御尽力により、ご発展されました。
4 もし、出口王仁三郎が幣立神宮に参拝したら、
             存在は、たちまち世に広まった
事に違いないでしょう。そうすると、大本教色が入り、今日の幣立神宮が持つ、独自性と中立性が確実に薄れます。
 だから、王仁三郎は、幣立神宮に気付かぬフリをしたのでは、ないでしょうか。後世に託すために。
5 王仁三郎の熊本巡礼は、日本の建替が中心だと私は記しました。
             8月23日誕生説=幣立神宮「五色神祭」
の隠語または暗号であったと推測します。
6 五色神祭とは、
     地球の安泰と人類の幸福・弥栄、世界の平和を祈る儀式
 です。
104頁より抜粋

 口説いですが、私の推測です。「平和」を希求するのは、平和でない世の中だからです。
「今の世は逆様ぢゃ。」
                     日月神示「夏の巻」第二帖
 王仁三郎は、大峠と弥勒の世界到来を後世に託しました。
 全ては、これからです。
王仁三郎の生誕の因縁を
             今日、8月23日
というキーワードで幣立神宮「五色神祭」で結びつけました。
  今日、五色神祭に参列された方は幸いです。
  今日、この事実を知られた方も幸いです。
 そして、これからが「日月神示」です。尚、春木宮司は、この事実をご存知ないですし、私も伝えた事がありません。理由は、幣立神宮の独自性と中立性に影響を及ぼしかねないからです。
 その代わり、本日、私は早朝4時に起床して、「御手代歌碑」で「たまゆら」に今回の内容を公表するお伺いを立ててきました。
御手代歌碑2

御手代歌碑3





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最終更新日  2015.08.24 00:11:27
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