眼鏡的思想。
女の嘘は許すタイプ。どうも、毘沙門台の眼鏡こと眼鏡です。普通でした。どっちに転んでも眼鏡でした。ということは起き上がっても眼鏡です。分かりきったことを敢えて説明する。うざいかとお思いの方も多いでしょう。しかし、世間が理解しきっているところへ敢えて飛び込む。その勇気。賞賛に値すると僕は思います。賛同してくれるのはコロンブスだけだろうと思いますが。先ほどのお話。過去の自分を顧みるために、今まで僕が書いてきた日記を読み返していました。「たまに後ろを振り返ってみるんです。そうやって、自分がいま歩いている道が間違ってないんだ。ということを再確認したいんです。前ばかり見ていると見失ってしまうものもあると思うから。走ったり、歩いたり、時には止まったり。」いま、思いつきました。いつか情熱大陸で聞かれた時に答えるとします。本当は今日書くことなかったんで、ただ何となく記事を読み返してたんです。ただ、それを素直に言うってのは負けを認めるみたいで。こじ付けです。無理から理由をつけてみました。・・・。今のくだり、声に出して読むと少し笑えるけど文字にすると重いな。ペンは剣より強し。完璧にリズムだけで挿入しました。過去の記事を読んでると、こっ恥ずかしくなりましたよ。「こいつ絶対分かってないのにニュアンスだけで書いてるやん。」って思ったもん。どんだけ雰囲気で良いこと書いてんねん。薄いわ。青二才が!って思った。それにね、やっぱ主観で書いてる文章は読み返して恥ずかしいよ。これは皆も共感してくれると思うんじゃけど。こんなこと思ってたんやぁ、とかうわぁ調子悪いなぁ、とか何言うてんねん、とか。背筋が痒くなるもんね。でも、そういう経験が誰にも迷惑かけず身近に経験出来るってのは貴重だな。やっぱり、書いた時、その場所にはあの日の自分がいて、あの日の時間が流れてんだから。恥ずかしいけど大切なこと。と、自分を正当化してみる。結局は人間こういうことですよ。分かりますか?結論付けをするのは誰でもなく自分本人。だとすると、自分に都合の良いような解釈で良いんじゃないかと。明確な答えなんてありゃせんのんだから。「あれは失敗だったな。」って思うよりも、「まぁあれでええわ。」って思ったほうがこの先きっと明るい。ポジティブにいこうよ、と自分を愛しちゃいなよ、とペンは剣より弱いんだから。なら気持ちでは剣より強くなきゃ。剣に負けないようにするには、どうするか考えなきゃ。そう、思うわけです。些細なことでもプラスに考えられる。雨の日でも楽しみを見つけられる。そうすりゃ、人生楽しくなるぜ、きっと。オレが芸能人だったら、このブログのヒット数ヤバイことになってるな。それくらいの気持ちでオレは日記を書いてます。今日の日記は読み返したら間違いなく恥ずかしくなるな。お相手は眼鏡でした。