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カテゴリ:日常
仕事場に落ちてたアフタヌーン四季賞の冊子。
なんかデジャブ?と思ったら、コミティアの見本誌会で読んだマンガが賞取っていたのだった。ああ、この魔女のマンガ、すごく良かったもんな…私には痛いテーマなんだけど。(魔女モノってなんかいつもそう。他人事じゃない感じ) 最後に載っていた、友達が死んじゃう話は、木更津キャッツへのオマージュかしら。自分だったらこうする、とかいう感じ。あれも、すでに5年前のドラマなんだよなぁ…。 似てるからpくりとかなんとかすぐ揶揄する風潮があるけど、人間自体が親のDNAの借パクなんだからさ。思想も思考も習慣も、オリジナルなんかじゃない。真似て似せて、それから人間は始まるのだわ。 昔の漫画雑誌投稿欄って、「既製の作品に似ているからダメ」っていう評が必ず載っていたのだけど、さいきんは見ないね。それは編集サイドの年齢によるものなのかも?と最近思い至った。 某社の新人賞においての、似すぎている騒ぎの時に、編集サイドで誰もそれが「既製の作品に似ている」と気づかなかったのはどうして?まさか本当に知らないって事?あり得ない…と思ったけど…。もし、本当に知らなかったんだとしたら、その理由は?と思った時に、もしかして彼等は、ものすごく年若いんではないだろうかと思い至ったのです。 昭和の時代にそれが少なかったのは、編集サイドがそれなりに年齢を重ねていて、情報量が違っていたからじゃなかったのか?と。 まぁ、それも良し悪しなんだけどね…。面白いモノがはねられる危険性もあるから。 二十代半ばぐらいから三十代半ばぐらいって、いわゆる中二病とはまた違う形で、自我に振り回される状態になりがちで。それまでに蓄積してきた情報に振り回されるっていうか。 少しでも似ていたりすると、それだけでダメっていうか。 とにかく、自分が知らないモノを必死になって探そうと、暗中模索する時期で。 時間が自分を追い越してゆくのを、何とかして食い止めようとしているのかもしれない、無意識に。 もうね、追いつくとか追いつかないとかじゃなくなるんだよ。 ホームに立っていると、特急電車が目の前を通り過ぎてゆくの。 今の列車は、どこへ行くんだろうと思って見送るうちに、次の列車がホームに入ってくるんだよ。 ただぼんやりと、その列車の外側に描いてある文字や絵を確認するだけで、もう精一杯。飛び乗る事なんてもうできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年01月17日 22時46分49秒
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