関係性がやおいのキモで
ただの美形、やおいに成らず萌えも無し。良い攻めが良いやおいを造る。などと言いますが、それにも増して重要なのが、キャラクターの「「関係性」友情とか敵愾心とか憎悪とか誤解とか思い出とか嫉妬とか、心が執着せざるを得ない何かがある事がまず重要で。(…なんだかマイナスの感情が多いな…エネルギーが強いからか)まずはそこから。もちろん、綺麗にこしたことはないけど、それって美味しいご飯がまずは味、それから見栄えってことになるのと同じことだと思うのね。美しいものが嫌いな人がいて…?といっても綺麗なだけじゃつまんないよ。トラバしたブログは、のだめのヘテロカプについての記事なんだけれど、このマンガの最も面白いところは、女が攻めで男が受だという現実を、照れず真っ直ぐに、はばかりなく描いているところだと思う。ヘタレ攻っていうのもあるけど、千秋センパイは完全に受で。といっても、それがマイナスだとは作者をはじめとする人間が、誰一人思っていないところがイマドキだなと。男は強くたくましく、攻でなきゃイカン、というような前時代的な価値観が無いのが、非常にリアリティがあるというかなんと言うか。そしてのだめは、まさにヘタレ攻なんだよー。そして、そこが良い!二次創作の作家、書き手と呼ばれる女子って、攻であることが多いとやっぱり思う。だから好きなキャラが受になりがちなんだったのかと、ある日気がついたのです。こんな、スッゴイむくつけき(粗野で野蛮な「むさくるしい」)キャラが何で受(当時は女役だと思ってた)なの?って昔は思ったけど、作者が心底攻で、かつそのキャラを愛していれば、それはもう当然そういうことになるじゃんよ!そんなの、当たり前だよ!カプがどうのとか、受け攻めがどうの、とかいう問題じゃない。他者の愛情嗜好に対して、なんだかんだ言うのは失礼に当たるわけで、正解なんてある訳が無い。そりゃあ、揉めるわな…。自分自身が主体なんだから…。でも、でもよ。読み手・それも自分では書かない層は、意外とこの法則で生きてはいない…。好きなキャラに自己投影する時もあって。そこんところの齟齬が、書き手と読み手の気持ちのズレになっていくんじゃ。読みたいと思うものを、作家はなかなか描いてはくれないものなので。スカーンと読みたい物にスマッシュヒット!っていうことが、実は滅多に無いんだよね…。そして自分が二次創作系で、話題に乗れずにいた理由がやっとわかった。作家系がほとんど攻だっていうのに、私は何故か受思考をする派だったのでした。ああ…趣味がなかなか合わないはずだよ・・・。