カテゴリ:中野市のこと
北部公民館の歴史探訪で旧山田家の見学があった。 大滝学芸員さんが来て説明してくれた。 今の展示は茶器。 紅茶のカップ等が展示されていた。 煎茶の道具もあった。 急須には山田君へなどと書かれていた。 青磁のうつわ、白青磁の急須などあった。 旧山田家は坂城の方からこの地に来た。 もとはアベファ二チャーの向こう側に あったらしいが、水害でここまで移ってきた。 明治44年の水害では浸水した。それ以降水に浸かってない。 蔵は階段で上がり水につかないようにしていた。 最初は福島領、 、飯山藩、天領になった。 144町歩の質地地主。長野県では一番。 延徳から木島まで持っていた。 名主などの村役は分家で主に家の経営をしていた。 当時の年貢はお金で納めていた。お米を江戸に運ぶのは大変なので。 貴族院議員、衆議院をした。 隠居をしたら孫を連れて伊勢参りをした日記が残っている。 奥座敷でお茶をいただいた。 お抹茶とお菓子をいただいた。 廊下越しに見える庭は立派であった。 念願の山田家見学ができた。 蔵の部分の見学はできなかった。 古文書は3万部、1万5千部はすでに東京にある。 生糸や酒造りのことはすこし話に出てきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.10.04 21:57:59
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