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今日は、大きいことと、中くらいのことと、小さいことがあって、
悩んだり考えたりして、 たった1日なのに、半年くらい時が過ぎたような気がします。 考えをまとめるにはまだまだ時間がかかりそうだけど、 いまちょっと思っているのは、 仕事とか何かのおつきあいとか、多少の距離感と緊張感のある人間関係では、 結局のところ、「相性」っていうのがものすごーく重要な要素だなあということ。 「好き嫌いをいうのは子供じみてる」 「ビジネスの場で感情を持ち出すな」 なーんていうけれど、結局、大人になろうが、どんな職業職種であろうが、 偉くなって部下ができようが、人間なんて、好き嫌いがある生き物なのね。 その表し方に個人差があるだけで。 これはおもしろいなあ、と思うのが、 どちらか一方が好感を持っているときは相手もそうであることが多く、 どちらか一方があまり好きでないと思っているときは相手も同様に思っていることが 少なからずあるなあ、ということです。 以心伝心なのか最初から運命づけられているのか、 なにかの反応とか作用なのかは分からないけど。 なので、自分が好き!と思える人とは、まずは安心してつきあっていいし、 どうも苦手だなあ、と思う人とは距離をとっておいて正解かも。 そして、お仕事のときにこそ、 役職だとか、経歴だとか、出身だとか、評判だとか、 自分にとって得だとか損だとか、 とりあえずそういう条件的なことは一切おいておいて、 動物的カンとか原始的な脳をフル回転させて、 自分的に素直に正直にその人を見て感じて、 好きになれるかどうか? 好きかどうか? を考えたほうがいいのかもしれません。 気持ちの良い人と組んだほうが、安全だし確実だし、 なにより楽しいし、よい結果が得られることが多いし、 「どうしても何かひっかかるナ…」というときは、 あとになって「やっぱり」ということがありがちなので、 それが小さくてどうでもいいようなことでも、 見ないふりはしないほうがいいように思います。 まあ、だいたいにおいて、人は、無意識にこれをやっていて、 「気づくと相性の良い輪ができている」 ということが多いものなんですけれどね。 ただし、この相性を見抜くカンのようなもの、なぜか恋愛には効かないのが、 ふしぎなところ。 周りをみていると、もともとは全然相性が良くなさそうなのに、 嵐の夜に二人でどこかに閉じこめられて愛がめばえちゃうとか(なんつーたとえだ)、 いっけん相性が良さそうなのが近づきすぎて愛が憎になるとか、 逆に、憎のはずがそいつのこと考えすぎて愛になるとか、 そんな錯誤が少なからず、あるようです。 恋愛は、人間関係のなかの富士の樹海のようなもので、 磁石の針が効かなくなっちゃうのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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