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沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

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2006.06.22
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50歳の時に奄美に移り住み、東洋のゴーギャンといわれた孤高の画家、
田中一村を描いた映画『アダン』を観た。

燃えさかる魂の炎に殉じる一村の姿を、
榎木孝明の鬼気迫る演技が伝える。
その姿が壮絶で、映画が終わってしばらく立ち上がれなかった。

「俺は、だれだ?」

画壇から受け容れられず、いつか見返してやろうと、
新たな作風を確立するために、それまで日本画で描かれてこなかった
色鮮やかな南国の動植物に素材を求めて、50歳で奄美に旅出つ。

紬工場で働いて小銭を貯めては、掘っ立て小屋で制作に打ち込む。
自然に分け入り、渓流にジャブジャブと入り、スケッチをする。
描いて、描いて、描いて……

誰に見せることも売ることもなく、ひたすら描き続けて、
修行僧のような10数年が過ぎる。
死期が近づき、南国の自然の中で、再び問う。

「俺は、だれだ?」

推測だけど、二つの自問の性質は、全く違うように思う。
前者は、自分らしい納得できる作品を描きたいという焦燥感。
後者の奄美で呻く「俺はだれだ?」は、大自然の中にどっぷりと身をおき
命の炎を燃やしている動物や植物と存分に呼応し溶け合いながら
発せられたもの。
もう「自分の画風」も「画壇」もどうでもいい。
自我も自己も消え、ただ、燃えるような何かに突き動かされて描く……。
なんのために? そして、「俺は、だれだ?」

「自分」が意識から消え、存在が純粋になる。
無我の境地、だろうか。





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Last updated  2006.06.23 02:21:36
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