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”母性”をテーマにしたドラマが同時に放映。
「Mother」(日テレ=放映中)と、「八日目の蝉」(NHK=5月4日放映終了)。 どちらも、子供を誘拐しての逃亡劇という相似形のシチュエーション。 「Mother」は小学校の女教師(松雪泰子)が、親に虐待される教え子を誘拐し逃亡、「八日目の蝉」の方は女(檀れい)が不倫相手の家にしのび込み、赤ちゃんを盗んで逃亡――。 この二つのドラマ、できは「八日目の蝉」のほうが格段によかった(まだ「Mather」は放映中だが)。近年秀逸のできばえだったと思う。何度も涙をさそわれたし、ついに捕まり、娘と引き離されるシーンは胸がつまった。 シチュエーションを冷静に考えれば、「Mother」の主人公の行動の方が圧倒的に同情できる。少女は実の親に虐待されているのだし、実母はその子いなくなってもせいせいといった雰囲気。松雪さんの行動は道徳的にはダメだがその子からみれば”正義の味方”だ。 それにひきかえ、檀れい演じる女の方は、不倫相手の男は最低だがその奥さんには何の罪もない。物心もつかない赤ちゃんを奪い、本名と違う名前で呼び、逃亡生活に巻き込み、衛生状態が悪い場所で過ごしたり、宗教団体の施設で過ごしたり。あのまま逃げ続けても小学校にも行けなかったかもしれない。同情の余地はまったくない。 なのになのに、なぜ、「八日目の蝉」のほうが感情移入できたのか。 ひとつには、「Mother」は松雪泰子がミスキャストだったと思う。芸風が都会的でクールなので、「救急病棟24時」の世をすねた女医役などはぴったりの役どころだったが、こういう泥臭い感じの役はどうも合わないようだ。 そして「Mother」は説明しすぎ。なぜ教え子に同情し、誘拐し、自分のキャリアをなげうっても逃亡するのか。それを、自分が実は親に捨てられ施設で育った経験があるとか、養親となかなかなじめなかったとか、背景を少しずつ出していくことで理由付けしようとするのだが、どうも”とってつけた”感がいなめない。 母性は、クールさ冷静さ、論理、説明といったものと対極にあるからだ。 母の愛は、発作的で、身勝手で、押し付けがましく、ご都合主義。 いつも子供が心配で、自分なんかどうなってもいい、むしょうにいとおしい、ただかわいい。こみあげてくる思い。 檀れいが、娘の手を引いて宗教施設から逃げるシーン。ぐずぐず泣く娘に思わず「うるさい!」と怒鳴ってしまい、ハッとして抱きかかえて走って逃げる。 ついに捕まり、引き離されるシーンで思わず、「その子はまだ朝ごはんを食べていないんですっ!」と叫ぶ――。 この感じ、「分かるー」と言ってしまう人は多いんじゃないだろうか。このトンチンカンさ加減が、母の愛なのだと思う。どうしようもない、おろかな愛。 実母の描き方もよかった。誘拐された娘は成長し、憎い女と同じように不実の子をみごもってしまう。その告白に思わず娘の頬を打つ。娘は犯人を巡る旅へ。帰路、家に電話し「やはり子供を産む」と母に宣言する。「もう、どうでもいいから……、帰ってらっしゃい」と涙を流し、すべてを受け入れる。それもやはり理屈なき、母の愛だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.13 18:36:20
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