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昨夜、日本作詩大賞の生放送を録画して後から見てみました。 結果は辰巳ゆうとくんが歌った曲が審査員特別賞で大賞は三山ひろしさんの歌った曲でした。 通して見ていて思ったのは、どの作品も詩の世界観は甲乙つけ難く作詞家の想いが詰まっていて素晴らしかったと思いますが結果的に胸に響いたもの、歌い手に合っていたものが選ばれたという感じがしました。 それはやはりその作品の詩を歌い手がどれだけ自分のものにしているか、どれだけの表現力でその世界観を出せるかという点だと思ったのです。 過去の映像や辰巳ゆうとくんの紹介のところで氷川きよしという名前が幾度も出てきましたが、氷川きよしが歌った作品が過去5回大賞に選ばれたのは、類い稀ない氷川きよしという歌い手の表現力の素晴らしさに尽きると思うのです。 その作品を最大限に魅力的にどれだけ表現出来るかは歌い手の力に大きく左右されると16作品をそれぞれ聴いていてすごく感じました。 衣装や振り付けでも表現することは出来ますが、歌がどれだけ心に響いてくるかはやはり歌い手の力ですもんね。 辰巳ゆうとくんの曲は今までと趣の違った作品で、ゆうとくんの今の雰囲気にとても合っていると思いましたし、三山くんの作品は一番から二番三番と三山くんの実情?思い?をストーリー仕立てにしてあり、一番三番でその思いが伝わるかどうかが焦点と作詞家の先生は言っておられましたが、徳光さんは一番三番でも二番のその思いは十分に伝わったのではないかと言っておられました。 作品の力はもちろんですが、それを歌う歌手にあっていなければ聴くものの心にストレートに伝わってこないものです。 その点でこの二作品が選ばれたのかなという印象を持ちました。 そして今年、氷川きよしがこのステージにいない寂しさを物凄く感じてしまい、無性に氷川きよしの歌が聴きたくなって過去の録画作品を見てしまいました。 やはり氷川きよしが歌う歌は表現力という点で他の誰かとは圧倒的に違う。 私が感じるその寂しさは他の誰かでは決して埋められるものではないとつくづく感じてしまうのです。 レコ大も紅白も私は同じように感じてしまうのでしょうね。 Kiinaはこの12月の各番組を一視聴者として客観的に見る事でしょうけれど、そこに自分がいないことをどう感じながら見るのでしょうね。そこに戻りたいとは今はまだ思わないのか、またあのプレッシャーを味わいたくはないのかな。 23年間通ったクリコンの予定もない12月。それなりに予定は詰まっていて師走らしさも感じていますが、何かが足りないと思う年末です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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