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大ショックです ブログにもトラックバックさせて頂いたプロレスラー橋本さんこんなに早く無くなられるなんて・・・・。 大変な仕事ですから こう言う事も有るのですね ご冥福を申し上げます。 “破壊王”の異名を取った人気プロレスラー橋本真也(はしもと・しんや)さんが11日午前10時36分、「脳幹出血」のため横浜市内の病院で亡くなった。40歳だった。橋本さんは昨年末に右肩を手術、心臓に不安を抱えながら復帰を目指した矢先の悲報だった。新日本解雇、新団体設立、倒産など波瀾(はらん)万丈のレスラー人生を送った橋本さんの早すぎる死に、人気低迷にあえぐプロレス界は深い悲しみに包まれた。 プロレス界に激震が走った。11日朝、橋本さんは横浜市内の自宅で「頭が痛い」と訴え、意識がもうろうとなった。同居の女性が呼んだ救急車で同南区の病院に運ばれたが、既に心肺機能は停止しており、まもなく死亡が確認された。 橋本さんは1年前から不整脈に悩まされるなど心臓面に不安を抱えており、1週間前にも心臓の不調を訴えて都内の病院に入院、最近退院したばかりだった。妹・真生さん(32)も「心筋梗そくの疑いがあり、本人は調べてもらうと言っていた」と明かす。 しかし、04年8月以来の復帰を目指すため、心臓のケアよりも、長期離脱の原因であり同年12月に手術した右肩の治療を優先させた。関係者は借金返済による心労との関連性は否定したが、140キロ台の体には知らないうちに大きな負担がかかっていたとみられる。 橋本さんは84年に新日本プロレスに入門。重厚なキックや垂直落下式DDTなどの大技を引っ提げ、スター街道を突き進んだ。同期生の武藤敬司(42)、蝶野正洋(41)とは闘魂三銃士を結成。団体の象徴でもあるIWGPヘビー級王者に輝くなど次世代のエースとして脚光を浴びた。しかし、00年4月、小川直也(37)との決戦に敗れ、引退を表明。ファンの嘆願でカムバックするものの同年秋、他団体との対抗戦実現へ動いたため、新日本から解雇を言い渡された。01年3月には新団体「ZERO―ONE」を立ち上げ一大ブームを巻き起こしたが、それも長くは続かなかった。約1億円の借金を抱え、04年11月に「ZERO―ONE」は活動を停止。それでも「復帰すれば借金も完済できる」と漏らしていたという。 11日夜会見した橋本さんの代理人の伊藤弁護士は「復帰は返済のためでなく、お世話になった人の気持ちに応えたいからと語っていた。明るい表情だっただけに、残念で仕方ない」と語った。 昨年デビュー20周年を迎えた三銃士興行の夢プランもかなわず、ハッスルでの小川との共演ももう見られない。 「プロレス界の発展」を願っていた破壊王は、志半ばにして短い生涯にピリオドを打った。 【さらば破壊王…写真特集】 ★BS blog Ranking お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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