ときどき何かをとても買いたいという気持ちになる。買いたい症候群だ。
ついこの間までは、種のある果菜果物を買いたくなっていた。メロンやカボチャやソルダムなどなど。果肉は種を買うときの付随物という感じさえしていた。種を買いたいという衝動は今は無くなった。
これまでは花の苗や鉢花を買うのに定期的に園芸店を訪れていた。季節が変われば、並ぶ花が変わるので、見るだけでも楽しかった。見るだけと思ってもついつい買ってしまっていた。これも今はその衝動が治まっている。ほとんどの花が買って育てたことがあるし、棚の植物を減らしている最中だからである。
買いたい症候群の対象が無くなっていたせいか、つい最近まで古本を買うのに熱中していた。自分では買いたい症候群の表れだとは思っていなかったのだが、図書館で気に入った作品や、エッセイ集で薦められている本の題名を見ると、図書館で検索し、無ければネットで古本を検索して購入してしまうのである。気がつくと机の上は本で山積みになってしまう。せっかく蔵書の整理を始めて少なくなってきたのに、何ということだ。
昨日はまた買いたい症候群が始まった。その対象は粘土細工のに使える材料や工具である。これらは100円ショップに行くと結構見つかる。100円ショップにはいろいろなものが置いてあって、時には思いもかけない優れものが置いてあることもある。昨日も繊細なカットが出来るカッターや部分的やすりがけが出来る小道具が見つかった。そのほか全部で10点ばかり購入した。
100円ショップで注意しなければいかない点は、前に買って便利だったのでまた買おうと思っても必ずしもあるとは限らないことだ。その時に安く仕入れられたので並んでいたのかもしれない。価格が安いので良かったものは予備に買っておこうと思うのだがついつい忘れてしまう。
世の中の人は買いたい症候群というと、デパートなどに行って高価な衣服などを買うらしいが、私の場合はこうした安いもので済んでいる。まあこれで満足できるのだからいいとは思うのだが、つぎつぎとその対象が変わって家の中には材料があふれている。いつかは使うと思うのだがこれが無くなることがあるのだろうかと、ちょっと気にはなっている。
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最終更新日
2019.07.18 19:49:36
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