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えぶりでぃ ちゅっかへ

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2013.05.12
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カテゴリ:ちゅっかへ~~

私は子供を産んでいる

産んだ私を母と呼ぶのであれば

母なのである

となると、ありがたいことに 母の日にカーネーションをいただくのである

(バカボンのパパのようになってきたが思考続行)

娘は人間ができているので(夫のDNAの影響が大きいと思われる)

おこずかいをやりくりして

毎年プレゼントを欠かさない

s-DSC01599 (640x425).jpg

 私は不必要なものは持たないタイプなので

必要なものをあらかじめ伝えておいてある(訳;おねだりしておく)

好みのものを用意してくれていることに感謝して写真におさめる

s-DSC01602 (397x640).jpg

さて以上は

自分が母であるということを

実感するひとコマであった

しかし実はもう

日常的には

自分が母であるなんてことは

ほとんど意識すらしていない

では私はいったい娘の何であるのか、、というと

「女性の先輩」というのがしっくりとくる

そうでなければリアルな恋バナなどできないし

女性の生物学的な話や

人生がどんなに素晴らしいかということについて話す時間も

持てないだろう

母親というものは

子供を自分の一部か何かと勘違いして

大人になった子供をいつまでも小学生のように

扱いがちなのである(訳;注意と文句だけで一日が終わってしまう)

そんなもったいないことに費やす時間はない

私は一人の女性としての娘の素晴らしさを賛美したいのである

きらきら

私にとって母の日が重要なのは

私が母なのだということには起因しない

きらきら私を産み育ててくれた母がいるきらきら

きらきら愛する夫を産み育ててくれた母がいるきらきら

きらきらあなたにとっての母がいるきらきら

きらきらイエス様の母 私たちの聖母マリアがいるきらきら

というそのことなのである

母の日に

私がこの大切な方々に

いったい何ができるのだろう

私の母も夫の母もすでに天国の住人である

私が何をしなくても

私の母(産みの母、育ての母)と夫の母は

永遠の安らぎの中に存在している

s-DSC01613.jpg

それ故に今は

感謝することしかできない

ありがとうございます

命を産みはぐくんでくれたこと

彼女たちの方法で

人生の愉快さ、不条理さ、生きていくこと 死んでいくことの意味を

考えさせてくれた

今日はそのことを想起し

感謝する日であるのだろう

s-DSC01604.jpg

そして私もまた、母として感謝される立場にあるならば

「ありがとう」と言われることを謙虚に受け止め

重荷を背負いたいと思う

母ならば

誰もが願う

子供たちが希望に満ちた毎日を過ごせるように

世界が真の平和になるように

地球の環境を守るように

実践の道を生きていかねばなるまい

・・・

「負の状況にくじけそうなこの世にも

救いはあるのだと信じて

朗らかに生きていくことで

子供たちに希望と生きる意味を与えることができる」

母とは

そのように生きる人のことを言うのだろう

たとえ子供を産んでいようと

なかろうと

きらきら

そういう意味では

私は「母として真剣に生きる欲求」が強い人であるのかもしれんな・・

しかも

HN Onmaじゃんね!

注;Onmaとは韓国語でおかあちゃん、おっかさんという感じの語

ああ 今さら 納得の 母の日

たるちゃん

かろうじて

私を母と呼んでくれてありがとう!!

 






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最終更新日  2013.05.12 18:37:25
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