引っ越しを致しました その1
なんとまぁいい加減な事で前回これを書き込んでから5年内容はともかく、まともに更新したのが15年前でした自分の生活の記録としてこれから時々は更新してゆきたいと思いますさて15年前は川崎在住でしたその後職場も移り錦糸町近辺へ移転1年程度で杉並の実家の父が亡くなり家計の足しにと錦糸町のマンションを引き払い家賃を実家に入れる為に実家へ引っ越し弟が家業(割烹料理)を継いでくれてましたが1年持たず廃業自分はと言うと錦糸町近辺在住の際は職場まで徒歩7~8分の通勤だったのが杉並からだと職場最寄りの駅まで1時間駅から30分弱の合計90分の通勤になり毎朝のラッシュでストレス倍増体調不良がMAXで傷病手当を頂く羽目に・・・ありがたかったのですが・・・一向に回復せず暫くすると会社が大変な赤字になり、大改革の末に9割の社員が辞めてしまう事態に・・・職場の女の子から年の暮れに連絡をもらい状況を把握したものの年明けに自分も辞表を出して退社路頭に迷うかと思っていたはずでしたが幸か不幸か我が家は飲食店の設備そのまましかも、こんな状況なのにかつての同級生の女性とmixiで再開その後、結婚してしまいました・・・(笑)仕事も金も体力も無い男の所へ、嫁に来ると言うので来て頂きました(笑)そして仕事も大改革ITやPCやWEBやプログラミングなどと無縁の蕎麦屋に転身です嫁さんが蕎麦屋で十数年仕事をしていたので蕎麦屋が家業になりました2011年1月に開業しましたその後は順調と言うか大変な道のりと言うか想像以上に商売って難しいと・・・2人で四苦八苦・・・そんな状況の2016年2月末頃僕が脳梗塞を発症してしまいました左半身のマヒがでて救急車のお世話になりそのまま入院脳幹の脳梗塞でした場所が悪いと言われました脳幹は呼吸器や心臓の機能をつかさどる部分だからこのまま進行したら命に係わると言われました数日寝たきりでしたそして左半身のリハビリスタートです歩くのも不自由になり左手も利かず言葉も上手くおしゃべりもできませんでしたそれでも脳神経外科の先生方やリハビリの先生や病院スタッフの皆さんのおかげで多少の不住差は有りますが無事退院なんとか我が家に帰ってこれましたそしてその後は嫁に付き添ってもらいリハビリの毎日でした幸いにも現在は殆ど後遺症も残らず普通に歩けるし左手も利くしおしゃべりも大丈夫ですなんとか生き残れました-----------------------------------続きは後日