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テーマ:戦争反対(1190)
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「実は、戦争設計を したほうがかえって 戦争が減る。 戦争設計の中心は、自国の利益、国益である。国益を明らかにして 戦争を設計することは、けっして悪いことではない。 各国がエゴイズムで 戦争設計をするのは、世界平和のために ひじょうに いいことである。もし、お互いの国がエゴを丸出しにすれば 相手の国益がハッキリする。相手の 戦争設計が 見えるわけで 次にどう出てくるか、すべて読める」というくだりは至言で それこそは 日本が世界を 平和にするための「戦略的思考」でしょう。 略・・・ 剣術の達人同士の 試合でも、二人が「いざ、いざ」といって刀を とって向かい合いますが、どちらからも仕掛けない。刀の切っ先が 微妙に前後左右に 動いてるけれど、どちらも切りつけない。 そのうち 片方の額からどっと汗が噴き出て、呼吸が乱れ やがて太刀を投げ出し、「恐れ入りました。この勝負は私の負けです。 遠く及ぶところではありません」と いうことで終わってしまったりする。 これも お互いに手を 殺し合っているからなんです。 仕掛けるのが 無理だから仕掛けない。仕掛ける勇気が出ない。 さりとて 向こうからも来ない。これは、まさに侵さず侵されずの 理想的な 国際関係です。お互いに、血を流さずに勝負がつく。 略・・・ 「戦争を論じること自体、軍国主義に通じる道」などと 世論を誘導してきましたが、こういう人たちの 考えはアマチュア将棋や 子供の剣術のようなもので、かえって戦争に巻き込まれやすく 、危険な考え方なんですよ。 日下公人 2002年4月号 正論 うむ・・・・なるほど。わかりやすい。
相手が 自分よりはるかに腕前が 上なら 戦うまえに 刀を 捨てて「参りました」と恐れ入る場合 もでてくるだろう。 そのほうが 死ぬよりましだからである。 国家の場合も 同じことが 言える。相手を見て かなわないと 思った場合には 戦争にならないように あの手この手の 対策を講じてみる。 それが 国家の安全保障であり 戦争学である。 悪の戦争学 倉前盛通 著 p195より抜粋
北朝鮮のテポドン発射を機に わが国の 防衛を知ったとき 「日本国民の 財産 人命は守られるのか」疑問と 不安を 持ったのは 私だけだろうか? 安倍晋三官房長官を 頼もしく思わざるおえない。
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最終更新日
2006.08.23 09:25:12
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