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大和撫子日記

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2007.07.26
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カテゴリ:中東

ミール・マフムードの末裔がタリバン

高山正之 変幻自在 07、7,26 週刊新潮より

「パキスタンの国名はパンジャブ州のPAにカシミール州のK,シンド州のSに西部バルチスタン州の末尾をつなげたものだ。

実はもう一つ州がある。アフガン国境に沿った北西辺境州。

州都はペシャワル。そこからカイバル峠の九十九折れの山道を登りきると国境の街ランジコータルに行きつく。眼下にアフガンの関所トルハムが望める。

この辺の住民がパシュトゥーン族で、国境をはさんでアフガン側にも分布する。むしろそっち側が彼らの本拠地で、アフガンの人口の半分を占めている。

この部族を説明するのには18世紀のミール・マムードを引用するのが手っ取り早い。

彼はある日、僅かな手勢を引き連れて長駆サファビ朝イランを攻撃に行く。手向かう者はこれ以上ない残忍さで殺しまくった。

有名なのは城塞都市バムで、彼は攻撃に手間取った腹いせに女子供を含む数万の生き残り市民の目をすべて抉り取り、そこを盲目の都とした。ちなみにバムの城塞はつい最近、世界遺産に登録された。

バムを抜いたマフムードは一気に王都イスファハンを落とし3000人の王族と貴族を処刑している。

彼らはやがて故郷に戻り、奪った財宝でカンダハルにパシュトゥーンの王朝を樹立する。

19世紀、英国がアフガンに乗り込んできたが、二度戦って二度とも彼らの獰猛さの前に敗退している。

彼らの生活圏を分断する今の国境線は英国がそのときに引き直したものだが、彼らは気にもかけない。

春になればパキスタン側からアフガン側に渡って農耕や放牧をし、寒くなれば戻ってくる。アフガン側も同じように行き来している。20世紀にはソ連が進行してきたが、このときアフガン側住民はパキスタン軍の情報部(ISI)から武器と情報をもらった。なぜならISIはパキスタン側のパシュトゥーン族でしめられていたからだ。

ソ連を追い出した後、彼らはその数を獰猛さをいかして新政権を樹立する。これがタリバンだが、この誕生の地はカンダハル。パシュトゥーンが初めて統一王朝を建てたところだ。

タリバンはイスラム原理主義というよりはバムで見せた残忍さが売りの政権だった。女が顔をちらとでもみせたら反宗教的だとぶん殴ってよかった。

盗みはイスラムでは左手首を切る。よほどの重罪は交差切断、つまり左手首と右足首を切る。しかしタリバンは肘から、足も膝から切断した。これだとまず死ぬ。他民族、とくにモンゴル系のハザラにはもっと過酷で、生きたまま背中の皮を剥ぐ惨惨な処刑をカブールの競技場でやっている。・・・」

ミール・マフムードの末裔がタリバン・・・恥ずかしいですがハラザの虐殺知りませんでした。 ハザラ人難民申請 日本に申請していたのもしりませんでした。






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最終更新日  2007.07.26 17:18:39
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