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テーマ:本日の1冊(3698)
カテゴリ:太平洋戦争
あいもかわらず、外は ジョギングいけないので、その時間を使って作文の練習をすることに・・・・・・・。
幕末-維新 おもしろ事典 という、なかなか面白い単行本が、手元にありまして、この著者、いや監修と書いてあるから微妙に意味違うんですが、まあこの方は他にも戦国時代についても、詳しく説明してくれてて、けっこう独特の歴史観で面白いので読むのが好きです。 が、ちょっと私 上記の本のなかに、ひっかかった部分がありまして、それについて、述べてみたいと思います。 お願い!!逃げないでください ではスタート!! 北越戦争で、河合継乃助について書いてあるところなんですが、同じ県というか、藩というか、出身の山本五十六と比較をしています。戦争でやったことは山本が、河合を真似ている・・・・と。 山本五十六は、開戦前に近衛首相によばれて、戦争の見通しについてたずねられたとき、"2年くらいなら、暴れて見せますが、そのあとは責任もてません" と答えたことは有名ですよね。自身がアメリカ滞在中に自費で、油田をみてまわり自他の工業力の差を、はっきり目の当たりにしているのです。 ま、このへんのことは、みなさんもよく知っておられるでしょうから、先へいきます。 私がひっかかった、例の文をここに書きだしますね。 ・・・・・・しかし、三年たったらどうするという展望がない。軍人である山本にそこまで要求するのは酷かもしれないが、勝てるという予測はつかないにせよ、2年後にはどうするべきかを展望せず、単に暴れまわって見せますで、戦争に突入したのでは、いただけない。 と、いうのですが、ちょっと違うんじゃあ??って、私はおもうんですね。 1)まず、彼は戦争反対論者で、三国同盟にも反対していた。 2)連合艦隊司令長官についたのは親友の米内光政が、山本が当時暗殺のブラックリストにのってたため(開戦反対論者だったため)山本を次官からはずし、安全な長官のポストをあたえたから。本人は軍政にのこって、開戦反対のために働きたかったらしい。 3)どうみても勝ち目のない戦争を指揮することとなり(反対していたのにもかかわらず)、考えた策が、戦争の早期終結です。長引くと負けることをしっていたから負ける前に戦争を終わらせようとしたわけですよね。
これでですね、単に暴れまわって見せる、で戦争に突入したのではいただけない、なんていうのは、そっちのほうが、いただけないよって、私思うんですけど・・・・・・ もうひとつ手元に、一冊の本があります。まだ戦時中に発行されたもので、黄ばんで書体も昔のでよみにくいのですが、 山本元帥 前線よりの書簡集 という本です。 そこに同じ海軍の亡くなられたけども懇意にしていた方の娘さん(まだ子供)に南方からだした手紙がのってまして、 ・・・・・・・・運動会には陸軍病院の兵隊さんと一緒に運動会をやって、よかったですね兵隊さんも大変喜んだと思います・・・・・・・・・・(略)・・・・でもこちらもたくさんの人が、しんだりけがをして、かわいそうです・・・・・
私これ読んだとき、ちょっと泣きそうになったんですけど・・・・
長くなってしまいました。終わりまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
普段使わない頭をつかったもんだから、ジョギングしたと、同じぐらいのカロリーを 頭で消費したことを、願っております。 それはないか・・・・・・
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Last updated
2008.04.10 22:22:30
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