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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
前回に引き続き、強制収容所訪問記(やだ? 興味ない?) え~っと、人体実験室のところから続けます。前回ここで確か終わったハズなので。 この人体実験室、銃殺の部屋、牢獄(収容所のなかにも、あるんですよ。牢獄のなかの牢獄?)、これらの部屋のある建物の右半分は、例の焼却炉が・・・・・ ガイド付きの団体もここで一番、説明に時間をとってました。 この強制収容所に入って、目につくのは絞首台と、この焼却炉の煙突。 焼却炉の前の広場には、ここで焼かれた死体の灰が巻き散らかされた場所に鎮魂碑がたっていて訪問者に、黙祷をしてくださいと、立て札がたってます、といっても、フランス語。 どうするんだ、フランス人以外は黙祷できんじゃん、読めないんだから。こういうところは、せめて英語で書こうね、フランスよ。いくら自国語以外がキライだといってもね。 私も黙祷しました。 焼却炉の中の見学は、さすがに混んでるので外で順番待ちしてたんだけど、なんだか自分が焼かれる順番を待たされてる囚人のような気がして、ゾっとしました。 生きたまま焼かれたヒトもいたのですよ!!
ここで殺された方の遺族の方からでしょうか、故人の写真に花束が添えられています。 生きたままこの中に入れられていくのを想像すると、失神しそう・・・・・・ この焼却炉のすぐしたの地下室は、死体収容所となっています。そこから上の焼却炉へ手動エレヴェーターで、死体を運搬し、上で焼くというシステム。 焼却炉の横には、こうやって遺灰をいれた入れ物を保管する部屋があります。 大体、収容所には、ユダヤ人、ジプシー、敵国のレジスタンスだけでなく、ドイツ人の政治犯もいれられてたわけです。 そのドイツ人政治犯で処刑されたものは、ユダヤ人たちみたいに、遺灰を巻き散らかされて終わりっていうのではなく、こうして保管され、遺族が引き取りにこれるようになっています。 家族が来るのを、まだ待ってる方もこのなかにはいらっしゃるのでは??? これらを見た後、気分がゲ~って下がってしまったので、しばし外で休憩。 といっても収容所のなかでは、休憩にあまりならないけど。 ドイツとフランスは、戦後しばらくかなり仲が悪かったのですよ。 もともと、フランスとドイツの国境は現在のようにライン川ではなく、フランスはもっとライン川の向こうでした。 それを領土拡張にのりだしたルイ14世が、第3オランダ・イギリス戦争の際、オランダに侵入して領土を奪い、またこの戦争でオランダを支援したドイツから、アルザス・ロレーヌ地方を奪い取り、その後も返還しなかったのです。 ここが、ドイツ、フランスの紛争の種、それ以来このアルザス・ロレーヌ地方は両国の間てひっぱりあい。 なんか引っ張り合いってところで、関係ないけど大岡越前守の話を思い出してしまった。 第二次世界大戦のときに、一時期この地方はドイツ領となりましたが、戦後またフランスにもどされています。 みなさん、最後の授業っていう話、ご存知でしょ?あれはここが舞台です。 アルザス地方は、ともかくドイツ色のものすごく濃いところで、姓名もドイツ語に源を発するのが多く、ここで話されるアルザス語という方言はドイツ語の親戚です。 現在、フランスとドイツは仲を修復し、かなり活発な交際があります。私の指導してる中級クラスにフランスからの留学生君がいます。大学の博士課程をここの大学でとるのだそうです、専攻はこれまた物理。 なんだか多いね、私のまわりには物理関係が。(そういう私もやってんだけど。類友?) 話が脱線してしまいました。 この話の続きは、今度はいよいよガス室の見学から・・・・・・いや、もう、結構ですって??? やっぱりもういい?? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.05 18:19:16
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