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テーマ:海外生活(7779)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
みなさま、ご機嫌いかが? 前から書いていましたこの強制収容所の話、まだ終わってませんでしたのでいい加減、終わらせたいと思うので、今日は最後まで書きます。 この前(9月5日の記事)は、死体焼却炉のところで終わってたと思いますからそこから続けます。(こう書くと、なんか危ないね) 今日はいよいよ、ガス室が出てきますので、心臓の弱いお方は・・・・・・・・・・ さて、焼却炉の見学のあとは、入り口にあるバラック小屋(他のは全部取り壊してあるけど、上の2棟だけは保存してあった)の中にある資料館の見学に行きます。 が、その資料館の前の広場に、こんなものが
絞首台です。 この広場とは、Appellplatz(点呼広場)といって、捕虜たちが一日に何度も何度も、点呼をうけ、集められた広場です。その広場のすぐ横にこの絞首台が立っています。この絞首台の後の空き地になってるようなところは、バラック小屋がぎっしり建っていたところで、今は土台しか残されていません。 遠くにみえるのは、アルザスの山々。 さて、この資料館は昔食堂であったところを使っています。 しかし~~~~!! 説明、全部、フランス語。せめて英語か、ドイツ語くらい、説明文つけておいてちょうだいよ。私はフランス語はほんの、ちょびっとしか出来んよ。 残念、すっごく残念。 天敵ママがここへ来たがってたから、今度ママと一緒に来たときに、ママに説明してもらおうっと。 だから、そこは絵とか写真をだら~っと見ただけ。でも奥のほうには捕虜の服とか、ベットが展示してありました。ベットって、3段ベットで、一段につき3人くらいがぎゅうぎゅうに押し込まれてたんですね。 これらの強制収容所の捕虜たちをモルモットに、いろんな実験が行われたということは前にも書きましたが、ベルリンにはカイザー・ウィルヘルム研究所という、科学研究機関が戦前にありまして、これが今現在の有名な、******研究所(ちょっと名前書きにくいです)となっておりますが、このカイザー・ウィルヘルム研究所のしたにSSの医学研究施設が併設されておりました。 それらの機関から、ナチスは医師、化学者をそれぞれの収容所に派遣し、彼らはモルモットの代わりに、人間を使って、思う存分、研究、実験にいそしむことができたのです。 ドイツ人が私にいうには、 なぜ、ドイツの医学が発達したか、よ~く考えてみたまえ ・・・・・・・・・・・・・なるほど、そうでしたか。ちょっと、怖! この、ナッツヴィラーでは、近くのストラスブール大学のヒルト教授の人類学の研究のために、生きたまま胴体から切り離された頭骸骨が、送られたことは前にも書きましたが、ここには、他にもウイルスの研究がなされていました。 黄熱病(野口英世?)、インフルエンザ、もろもろの病原菌が、捕虜の体に注射されます(その実験が行われた部屋は前回に紹介しました)。それで、体の反応を調べていくわけです。 今現在有名な、***製薬会社も、ここに捕虜を何名、送ってくれと頼み、自社の薬品開発にその捕虜たちを実験台にしたわけです。 私この***製薬会社の薬、けっこう飲むんだけど、このこと知ってから、 もしや、私が今もらったこの薬はひょっとして??? だの考えてしまい、飲むのがちょっと怖かったりします で、病気に感染してしまった者、重病になって働けなくなった者、あるいは、ただ単に・・・・というもの達が最終的に送られるのはガス室。 このガス室はこの収容所の敷地内にはなくて徒歩10分くらいの、山の中腹へむかっておりたところにあります。 私ももちろん、行きました。 なんてことはない、普通のアルザスの農家が建ってます。 え、ここなの???これがガス室?? しかも、そのガス室の道路のお向かいには、レストランが真正面に立ってたりして、こんなところでとる食事なんて美味しいのだろうか・・・・・・・ってしばし考えました。 でもテラスにはちゃんとお客さんがいたりして、私だったら、やだよ、ガス室を眺めながら食事するなんて。 で、いよいよその建物の中へ入ります。 入ってすぐ右、ガス室です。
ぱっと見ただけでは、これはなんでしょう?って思いますよね。 左横に黒い蓋のようなものがあるの、分かりますか? ここからチクロンBという一種の殺虫剤をドアを閉めた後、中へ放り込むのです。初めはナチではガス室には、車の排気ガスを利用してたのですが、それでは時間もかかり効率悪いということで、その後、この殺虫剤を使用することに。 アウシュヴィッツでは、この使用された殺虫剤の残りの缶や、使用済みの缶が残されております。 私はこのアウシュビッツにもいつか、見学にいく予定です。あと、ダッハウもね。 で、このガス室の横には、こういうのが
これ何だか、お分かりですか? みなさんで考えてみてください。 さて、これらを見学した後、ドイツへとまた家路につきます。 私の周りにいる、本当に親切で優しい天敵ママやパパ、クラブの面白い仲間達、稽古で会うといっつも抱きつかんばかりに喜ぶチビちゃん達、これらも同じドイツ人。 私の指導してるクラスの多国籍グループ(ドイツ、アメリカ、フランス、日本、中国、ロシア、イタリア、ポルトガル)の、仲のいいこと。 本当に今の世に生まれてきてよかったです。だって、この上の国籍みてくださいよ、時代間違ってたら、もろ枢軸国と連合国に分かれてるじゃないですか。 さて、これで私のナチスの捕虜収容所のお話は終わりです。 機会あれば、もう少し、SS医学について詳しいお話など書いてみたいのですが、いかがでしょう? そういえば今日は**君の誕生日だわ、どうしよう(こういうとこだけ、いきなりしおらしいババアでした) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.12 17:26:59
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