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鏡の国の落としあな

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2009.06.12
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こんにちは、お久しぶりです。

前回の記事に書いてましたように、ナチスの強制収容所への見学をして戻ってきました。

今日から何回かにわたってこのことについて書いていきます。

本当は長くしないためにも写真も文章も割愛して、と思ってたのですが、皆様になるべく雰囲気が伝わるようになるべく詳しく書いてきます。

・・・・ということでこのシリーズ、長くなるかもしれませんわからん雫

強制収容所での写真に加え、ドイツ歴史博物館でナチス時代の写真や資料も撮ってきましたのでそれを交えながら、書いていきたいと思います

smileys

 どうぞよろしく。

ここに掲載した写真等は持ち出し自由ですが、その場合はひと言連絡いただければ嬉しいです。


実はこの見学には同行者がいました。

天敵君のお兄ちゃんですスマイルちょき

お兄ちゃんのすんでいるところは、この収容所からも近く、お兄ちゃんに収容所に行くことを言うと一緒に行ってみたいとのことで、デート決定。

私は仲がよかったのは天敵弟のほうで、お兄ちゃんとは弟ほど交友があったわけではないので、ちょっと緊張しましたが・・・うっしっし

お兄ちゃんが大学の研究所の仕事が終わってから電話をし、駅で待ち合わせをすることになってたのでホテルの部屋で待機、すると電話がかかってきて

「今から20分後に駅に来てよ。電車がでるから。じゃあね」

「・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!」

猛ダッシュ開始ダッシュ雫

結局、間に合わずショック

その後、乗り換えの駅でもチビの私とデカイお兄ちゃんはドタバタし・・・・・・・まあ、なんとか列車はその後収容所のある駅に着きました。

バスは収容所へは一時間に一本しかないし、でも駅前の表示によると2キロちょっとってことなのでいろいろお兄ちゃんと話ながらてくてく歩いていくことにしました。

ずっと歩いていって、大体2キロくらい歩いたころもうそろそろかな~って思ってると、標識があり、なんと、ここから2,4キロって書いてるの!!!

さっき駅前では2キロって書いてたでしょ~~~怒ってる!!

お兄  「なんでまた増えてんだ~?」

私   「そういうややこしい計算はお兄ちゃんの専門でしょ~?」

とかなんとかいいながら頑張って歩いていきます。

話は横にそれますが、兄弟って声とか似るのでしょうか?

お兄ちゃんと話してて、ときどき天敵君と話してるような錯覚に陥りました。

似てますよ、話し方とか声とか。

とかくと、なんだか和泉式部のようですが・・・・・・

えっと、話をもどします雫

 

やっと見えてきました。

下矢印

CIMG1103.JPG1.jpg

 

空の色を見てくださるとお分かりいただけますが、あちらのほうでゴロゴロ雷が鳴ってるんですよ。

私は雷は大の苦手失敗、こういう野原の何もないところでゼウス様いなずまにお会いしたくありません。腰がぬけてしまいます。

この建物は入り口のインフォセンターです。オーディオガイドが借りれます。

驚いたことに、この収容所は無料びっくり

フランスの収容所は入場料取ってましたが、ドイツのほうは無料。ビックリ。

ちなみに、この収容所が立てられたのは1936年でその後1945年までやっていました。手元の資料によると、ダッハウ、リヒテンブルクについで、3番目に立てられたドイツ国内の強制収容所のようです。

このインフォを通り抜けると、収容所の外側のとおりに入ります。


CIMG1209.JPG1.jpg

上矢印左が収容所側になります

お兄ちゃんに何度も、「ね~、雷こっちにくるかなぁ、怖いよぉ~ほえー」としつこく言い、そのたびにお兄ちゃんに馬鹿にされ、でも本当私は雷は怖いのです涙ぽろり

けっこうゴロゴロ鳴ってるし、強制収容所についたとたん、この天気ってなんだかな~

外堀の門をくぐると、そこはちょっとした松林であちこちに追悼碑が建っていました。


CIMG1114.JPG1.jpg

そこを横にまっすぐいくと、見えてきました。収容所の入り口です。


CIMG1115.JPG1.jpg

どうぞ、前回の記事の当時の写真と比較してみてください。

 

くぐりますよ~


CIMG1116.JPG1.jpg

強制収容所にはどこにで書かれてるこの言葉

下矢印
Unbenannt1.jpg

Arbeit macht frei

(Work makes you free) ←ウソばっか

この門をくぐるとき、すごくどきどきしましたよ。

あの当時、この門をくぐった人はどんな気持ちだったのでしょう。

この門をくぐったが最後、もう2度と出られなかった人が多数だったはず。

これはアウシュヴィッツに到着してすぐガス室送りになり、

ガス室へ向かってる人々です。

下矢印
1Unbenannt1.jpg

小さい子供達、お父さんらしき人に抱っこされてる赤ちゃん、みんなガス室へこれから向かうのです。

アウシュヴィッツでは到着後、即ガス室送りになる人には『当収容所は清潔をモットーにしていますから、皆様にはまずシャワー室へ入っていただきます』とウソをついてだましていました。

それでも勘のいい女性などは、違うのに気づき騒ぎ出したそうですが、そういう女性は列からはずされ、人気のないところへ連れ出し、その場で射殺されていました。

このザクセンハウゼンのガス室については後の記事に書いていきます。


で、門をくぐってすぐ横には鉄条網が張り巡らされ、そこにこういう看板が立ってます。


CIMG1118.JPG1.jpg

画像縮小すると見えなくなりましたが、

ここに立ち入ったものは有無を言わさず即射殺

と書かれているのです。

なんだか写真を撮るためにここに入った私は、なんかスイッチでも入ってて、今でも弾が飛んでくるような気がしてちょっと怖かったです。そんなはずないのにね、でも怖いのですよ。

だって逃亡しようとしてここに入った人、いたでしょ?

その人が撃たれて倒れたその場に、自分立ってるのかもしれないのだし。

監視塔からすぐ見えるところにあります。



CIMG1119.JPG1.jpg

ここにはこうやって犬を連れてパトロールしてました


CIMG1106.JPG1.jpg


私とお兄ちゃんはあたりを見回し、鉄条塀を調べ、どうやって逃亡するかいろいろ考えたのですが、どうやってもムリという結果になりました(←当たり前だって?でもアウシュヴィッツには脱出に成功した人もいたのですよ!!)

ところで、どういう人たちがこのザクセンハウゼン収容所に送られてきていたのでしょうか?

その内訳はここで私が買った本によると、

政治犯やナチスに抵抗した者、外国のレジスタンス、エホバの証人などの宗教、労働を拒絶したもの、ホモセクシュアリスト、ユダヤ人、その他、

となっています。


ユダヤ人女性と結婚してたため

『私は種(アーリア人)の純潔を汚しました』

という看板を付けさせられたドイツ人男性下矢印その横に奥さん


2Unbenannt1.jpg1.jpg

 

この時代にはユダヤ人追放が激しくなり、ユダヤ人の店で買ってはいけない、ユダヤ人と結婚してはいけない、ユダヤ人はドイツ人と同じ店で飲食してはいけない、などなどの規制があり、しまいには結婚相手がユダヤの血統だと調べて分かると、離婚するドイツ人が続出する有様。

さて、長くなりますので今回はここでお別れです。

次回はいよいよ収容所の中の建物に入っていきます。






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Last updated  2009.06.13 00:40:16
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