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テーマ:ヨーロッパ旅行(4227)
カテゴリ:ヨーロッパ旅行・見聞記
さて、今日は収容所の建物の中を紹介いたします。 ところで、このザクセンハウゼン強制収容所は、アウシュヴィッツとその性格において異なる点があります。 アウシュヴィッツは大量虐殺を目的として建てられたいわゆる殺人工場ですが、このザクセンハウゼンは、捕虜や政治犯等の留置所であったということが、アウシュヴィッツと異なります・・・・・とはいえ、ここでも虐待は行われていましたが。 以下、今日の記事に出てくる斜体の部分の訳は私がしました。
・・・・森の木を伐採するのだ。この切った木、5,6mの長さの木を駆け足で運ばなければならないのだった。SSの監視員がそばを通ると、『もっと早く運べ』と我々を怒鳴りつける・・・ (ブルノ シュトライ ドイツ人政治犯 1936)
・・・・『そこに立て!』と13団のある捕虜にむかって所長自ら怒鳴りつけ、両手を縛られてるその捕虜の顔面を殴りつけた・・・・・・・あっちで、こっちで捕虜が倒れていく・・・・・・それをSS監視員が足蹴りをくわせ、意識を取り戻させるのだった・・・・ (アルフレッド ラウレンス ユダヤ人政治犯 1938)
これがバラックの外観です。
ここに送り込まれた理由によって胸にとりつけるマークが違っていました。 バラック小屋のなかは広くありません。 そこへたくさんの捕虜が押し込まれていました。
彼らの日常の部屋はここ
ロッカーはもちろん人数分ありませんし、鍵もかかっていません。 個人の貴重品(限られてましたが)や、食べ物などは盗まれるのを防ぐため各自、身につけて歩いていました。
・・・・監獄からバラック小屋に入った。どこもかしこもぎゅうぎゅうだ。押し合いへしあい、そこにみないる。もうテーブルの上には私がものを置けるような場所はなく、このせまいロッカーには6人もの捕虜が共同でひとつのロッカーを使うのだ。食器、バスタオル、所持品などをここに入れる。居場所がなくてどこにいっても私は邪魔者のようだった。怒鳴られ、突き飛ばされた・・・・・・・・・ (ヴォルフガング スツェパンスキー ドイツ人政治犯 1940)
バラック小屋へは真ん中から入りますが、右側はこうやって資料館になっています。
ベットです
このベットに布団なんてものはついていません。藁だけです。 藁がないものは、そのまま硬い木の上に寝るわけです。 ベットの大きさは横幅70cmくらい。 すごく狭いですがこのひとつのベットの上になんと3人が寝かされるわけですから、ぎゅうぎゅうで身動きとれない状態で固まったまま寝るのです。 藁には蚤、虱が湧いていました。
共同洗面所
この狭い洗面所に30人もの捕虜が短時間で、一斉に顔を洗ったりするわけです。 捕虜への虐待はひどいものでしたが、夜中にここの洗面所に顔をつけられ溺死させられた捕虜も多数いたようです。
トイレ
ときどきお昼に使用させてもらえることがあったようですが、トイレは一日、2回しか使用できませんでした。 ここにもトイレ時間に一斉に捕虜がなだれ込んで用を足すわけですが、体の弱い人、年寄りなどはそのときに後からおされて人糞にまみれた床に倒れてしまい体中、糞まみれになっていたそうです。 このトイレに顔を付けられて溺死させられた捕虜もいました。
では、次は遺品を紹介いたします。 飯ごうに今までいた収容所の名前が彫ってあります。いろんな収容所を点々としたようです。このように、捕虜はあちこちの収容所をたらい回しにされていました。
ワンちゃんのキーホルダーがなんとも悲しいです
捕虜が恋人(両親あてに託して)にあてた手紙 親愛なる両親へ 先週、ベアテおばさんから小包を受け取りました。 とても嬉しかったです。それに、****(←ここの部分、解読できず)から 物をもらってすごく幸せです。 おばさんにボクからキスを、そして早くおばさんに会いたいって伝えて。 いつもおばさんのことを思ってるって。 ボクは元気でやってるから******(解読できず) ボクがいないからって悲しまないでね、みんな元気でいてください 6月1日の手紙は無事、着きました。小包もね。 家族のみんなにボクから心からのキスを。 これで手紙を終えます。 心からの抱擁を ジョージュより
この文中にでてくるおばさん、というのは多分恋人のことなのでしょう。 手紙はすべて検閲されてましたから(太平洋戦争中の日本と一緒ですね)、こう書くしかなかったのでしょう。 ちなみに手紙はすべて、ドイツ語で書くことが義務づけられていました。
音楽が好きだった人が残した手書きの楽譜
秘密警察の書類
ふとバラック小屋から外を眺めてみました 彼らは私と同じこの景色をみて何を思ったか・・・・
ここは大量虐殺が目的で作られたアウシュヴィッツと違うので、殺人目的のガス室へそれ目的で送り込まれた人は少ないですが、ここの捕虜たちが悩まされたのは、監視員による虐待、いじめ、飢え、病気等でした。 ・・・・・・朝にコーヒー一杯、そして水っぽいスープ、これだけ。晩までには大根とキャベツがちょっとばかし入ったほとんど水のスープ。たったこれだけ。脂肪分はなく、量もない・・・・ (ヴァルター シュヴァルツ ホモセクシュアリスト)
特に捕虜虐待はすさまじいものがあったらしく、これで命を落とした人の数はかなりになります。
オランダ人の捕虜が描いたSSによる捕虜虐待の絵
・・・・・・私はここでおこったこと全ての恐ろしい出来事について話せる気分ではない。 ただひとつ言うなれば、ここで我々が名前を失い、ただ数の番号になった、ということだけだ・・・・・・・ (ニコライ スバレフ ソ連軍捕虜 1944)
ところで強制収容所の中にも監獄がありました。 次回はそのことについて書きます。 注意 ちょっと内容がカワイソウです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.13 23:55:19
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